平安時代

院政の仕組みを図で簡単にわかりやすく。北面の武士についても。

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白河上皇/法皇による「院政」

前回の記事でも言ったように、「天皇の補佐的立場で、政治の実権を握る」という根本の仕組みは摂関政治とほぼ同じ。

 

違うのは政治の実権を握っているのが摂政・関白か、上皇かってとこだけだ。

う~ん、これだけの説明だと実にイメージしにくいよね。

 

というわけで、詳しく見ていこう。

院政とは?

 

院政を改めて説明すると、

天皇の座を譲った人(=上皇。出家した場合は法皇)が、天皇の補佐役という名目・・で政治の実権を得る

という政治の仕組みだ。

 

政治の実権を得た上皇/法皇は、後に治天の君ちてんのきみと言われるようになり、一方天皇は「皇太子のようだ」と皮肉られることになる。

 

まあ実際そうだよね。

院政の下じゃ、天皇は上皇になるための準備期間みたいな感じになっちゃってるし。

 

 

院政の「上皇と天皇」の関係は「会長と社長」みたいなもん

 

院政を理解しやすくするために、ちょっと例え話を考えてようか。

 

A社という会社があったとしよう。

で、この会社の経営権は長らく山田哲夫社長が握っていたんだけど、もう年なんで一線を退こう、と考えた。

 

山田社長は山田哲夫“会長”となり、自分の息子・茂男に経営権を渡した。

茂男は“社長”に就任した。

 

もう経営権を持たない哲夫会長は、事実上会社のトップではないので社長の頃よりも心持ちは軽い。

でも哲夫は長い間A社を切り盛りした人なんで、A社からすればとても偉い人であることに変わりはない。

 

さて、社長の入れ替わりがあってからしばらくしたころ。

会長の哲夫がある日、どうしてもやりたいプロジェクトを思いついた。

 

しかし今は一線を退いた会長の身。勝手にA社の方針を変えることも、直接部下に命令を下すこともできない。

そこで・・・。

 

哲夫は現社長の茂男に対して、「俺めっちゃいいプロジェクト思いついたんだよ、これ茂男が代わりにやってくれよ」と私的に言うわけだ。

茂男は哲夫に社長の座を譲ってもらったわけで、頭が上がらない。しかも哲夫はA社においては偉い人として扱われているからぞんざいにはできない。

 

というわけで、茂男は哲夫の考えたプロジェクトを実行せざるを得なくなった。

 

 

どうだろう。イメージできたかな?

院政の仕組みは、今の例と同じようなもんなんだ。

 

会長が上皇で、社長が天皇ね。

 

 

院政の仕組み

 

院政の時代でも、いくら上皇が天皇と同等で政治の実権を握っていても、あくまで現役ではないわけ。

だから院(上皇)が朝廷側に、“公式に”政治を動かすことはできない。

 

じゃあどうするか。

“私的に”圧力をかければ良いんだよね。

 

院の場合は、まず院庁いんのちょうと呼ばれる政務を行う機関を作った。

院庁では、院司いんしという官僚が配置された。

 

で、天皇に言うことを聞かせる“私的な”文書として院宣いんぜんというものを朝廷側に送っていた。

 

加えて院からは、院庁下文いんのちょうくだしぶみと呼ばれる文書が出されることもあった。

これは公式な文書とほぼ同等の効力を発揮した。(100%公式文書ではない)

 

このほか、院庁を守るための警備役として北面ほくめんの武士」も配置されたり、上皇の側近として「院の近臣きんしんが配置されたりした。

 

 

今まで出てきた院にまつわる役職などを図にするとこうだ。

 

ちなみに、北面の武士は次第に地位を向上させていき、後の平氏政権が生まれるきっかけの一つにもなる。

これについては後々詳しく見ていくよ。

 

 

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