面白くなってくると言うと語弊があるかもしれないけど、
この頃から日本史ってのは激動を迎えるよ。私が大学受験をしていた頃は暗記で手一杯でそこまで興味が持てなかったけど
今となってはもっと理解して面白く日本史を学べば良かったのに!と後悔しているよ。
大正デモクラシーが起きて1925年に普通選挙法が制定されて、国民は権利を手に入れたと思いきや軍の支配が強まっていって・・・
と日本史の面白さが詰まってきた時代なんだ。
なぜ、そうなっていったのか?と言うと、やはり「景気」という観点が切っても切れないと思う。
政治と経済は表裏一体だから、経済が悪化すると政治も揺らいでしまうわけだね。
第一次世界大戦後の不景気から1929年の世界恐慌。経済が打撃を受けた時期に軍の支配や革命が起きるんだよね。
ほら、現代の世界でも貧しい国こそ内紛が起きているもんね。
今回は濱口雄幸と井上準之助について見ていこう。
金輸出解禁
日本は1897年に金本位制を確立していたよね。
金本位制に関して詳しく知りたい人は、『金本位制とは? メリット、デメリットをわかりやすく』の記事を読んでね。
ただ第一次世界大戦の時に各国は金の輸出を禁止していたんだ。
戦争で費用がかかって赤字を垂れ流すから金を輸出OKにしちゃうと国内の金がどんどん海外に逃げちゃうからね。
1917年になるとアメリカも金の輸出を禁止。
その後第一次世界大戦が終わって、各国がそろそろ金いいんじゃね?と解禁した頃に日本だけ金輸出の解禁に取り残されちゃってたの。不況だったからね!
ほら。若槻礼次郎内閣の時に金融恐慌もあったじゃん?
1920年代の長引く不況は大変なものでさ、とりあえず打開策でお金を大量に刷ってみたら、物価がどんどん上昇しちゃうし、
日本は国際的に競争力を失っていて、日本円の価値も外国為替市場で暴落するし大変だったわけだ。
そこでやっとこさ濱口雄幸内閣になった時に、欧諸国のように金の輸出を解禁して金本位制への復帰を目指したの。
これで為替相場が安定する!貿易も拡大する!
と期待されたんだけど、1929年のアメリカでの世界恐慌がきっかけで失敗に終わる。
「嵐の中で雨戸をあける」なんて表現されるくらいだったよ。日本はアメリカと第二次世界大戦で戦争して負けたってイメージが強いから意外かもしれないけど、
日本の最大の貿易相手はアメリカだったからね。
濱口雄幸と井上準之助
濱口雄幸は憲政会と政友本党との合同で誕生した立憲民政党の出身。
大蔵省から政界に入った人物で「ライオン宰相」として人気があったんだ。
井上準之助は濱口雄幸の蔵相。
濱口雄幸 → 右翼に襲撃されて負傷、翌年死亡
井上準之助 → 血盟団員に暗殺
といった形で殺されてしまったんだ。日本史の勉強をしていると感覚が麻痺してくれるけど、
総理が殺されるって相当な事件だと思わない?それほどまでに日本の経済は不況で国民は不満を抱えていたって事なのさ。