前回は大坂の陣が終結したね。善戦むなしく、豊臣勢はみんな自害で幕をとじた・・・。
秀頼、成仏しろよ!
さて、「目の上のタンコブだった豊臣勢も消したし!オレたちの時代だぜー!!」といった感じの徳川家。次にするべきことは、全国の諸大名たちを統制していくこと。今まで戦っていた大名たちも統制していかなくちゃいけないから、どー見ても一筋縄ではいかなそうだよね。
今日は、幕府がどのように大名を統制していくかを見ていこう!
≪ちなみに・・・≫大坂の陣が終わった1615年では、家康はもう将軍の座を辞していて、息子の徳川秀忠に譲っていた。・・・んだけどその後も家康は駿府(今の静岡県)で「大御所」として幕府の実権を握り続けていたよ。
一国一城令
まずはこの、「一国一城令」だ!
この法令は1615年に出されて、「元和の一国一城令」とも言われるよ。
これは文字通り、「大名は自分の国に、自分の住む城以外は作ったらダメよ!」という法令。この大名が住む城一つ以外はすべて破壊されてしまった。
なぜこんなことをしたのか!
理由は、もちろん幕府の都合。「城を幕府に反抗するための拠点にさせない」ためだったわけだ。
だけど幕府にすっごく信頼されてた大名は、複数の城を持つことも特別に許されていたりして、全部の国が「一国一城」だったわけではないみたい。(笑)
武家諸法度
もう一つ大名統制で重要なのがこの、「武家諸法度」。
これ、一体どんなものなのか簡単にいうと、「大名が守らなくてはいけない法律」なんです!
もし破ったりしたら、その大名は厳罰に処されちゃいます!
武家諸法度は、「金地院崇伝」という坊さん(家康の政治・外交顧問)がメインになって作られている。内容は、政治や道徳の上での戒めや、治安維持の決まりを定めたもの。
1615年に秀忠が出した「元和令」の中で、有名なのは「城の修理を勝手にしちゃダメ!」ってのがあるよ。
この武家諸法度は将軍が変わるごとに出されることも覚えておこう。
今後、幕府はこの「武家諸法度」を使ってさらに大名への統制を強めていくよ。