これまでは、日本屈指の名君・保科正之についての話題が多かったけど、今回は同じ時代に生きたほかの名君についても紹介していくよ。
藩主のうち何人かは「朱子学」や「儒学」「陽明学」を学び、それを藩の政治に生かそうとしていたんだ。
このうち、今回は岡山藩の池田光政について掘り下げていくよ。
池田光政、熊沢蕃山とは?
池田光政は初代岡山藩の藩主。
幼いころから逸話が豊富で、中でも家康から「(光政の)目はただものではない」と言われるほど。
10代のころに孔子の「論語」を読み、「学問による政治」を行おうと奮闘する。
やがて岡山藩主になると、陽明学者・熊沢蕃山を重用するようになって、ついに日本で最初の庶民学校、「閑谷学校」を開校する。
熊沢蕃山は、日本最初の藩士に対する学校(藩校)として「花畠教場」を開校する。
ここからわかるように、池田光政は民衆の教育に対して非常に積極的だったんだ。
これは「論語」に強い感銘を受けていたからだ、と言われているよ。
池田光政の政治
池田光政はその生涯で、とにかく「倹約」を徹底していた。
自らも質素な生活をする傍ら、民衆にも質素であることを求めていたらしい。
ただ、食事までも倹約しろ(一汁一菜)、と言われた民衆はさすがに反発して、ご飯に魚や野菜を入れて「ちらし寿司」の一種を作り上げた。
これはいまでも郷土料理として残っているみたいだね。
また、池田光政は非常に平等なものの見方ができる人物だったようす。
あるとき家臣がイノシシやタヌキを狩って生活する人々を卑しいと言ったら、光政が「差別すんな!!」とブチ切れたという逸話がある。
まとめ
日本で最初の庶民学校を作ったことで有名な池田光政。
江戸時代から身分差別をほとんどせず、平等なものの見方をしていたというのはすごいことだよね。