百万町歩開墾計画をわかりやすく。三世一身の法との関係も。

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奈良時代は「律令制」の時代。

 

土地も国民も天皇の下にある、という公地公民制が基本だったよね。

で、口分田を国民に分け与えて、そこから税を取るという仕組みだった。

 

ところが、時間とともに人口が増えてくると、「口分田が足りない」という事態になってしまった。

まあ一人一人に田んぼ配ってるんだから当然ちゃあ当然だよね。

 

田んぼが足りないということは、人口に対して採れる作物が足りないということでもある。

要するに食糧問題が出てきてしまったわけだ。

 

今回は、この問題を解決するため奈良時代の政府が行った政策を見ていくよ。

 

百万町歩開墾計画

 

まず政府が考えたのは、「配る田んぼが足りないなら、新しく田んぼ作ればいいじゃない」という至ってシンプルな対策。

 

ただ言うのは簡単だけど、実際に穀物を作れる田んぼを作るのはかなり大変だ。

 

田んぼは水を張ったり水を抜いたりできる設備灌漑設備/かんがいせつび)が必要なんだけど、これは古代ではかなり大変な工事になる。

水源が遠かったらそこまで水路を引いて、池を作って・・・。

 

田んぼを作る準備だけでひと苦労だ。

 

それだけコストがかかる田んぼを、政府はなんと“新たに”百万町歩も作らせようとした。(これが百万町歩開墾計画/722年)

当時既に作られていたすべての田んぼを合わせても八十八万町ぶんしかなかったってのに、そこから倍以上の田んぼを作らせようとしたってわけだ。

 

どう考えてもムチャだよね。

 

一応開墾した人には特典がついてくる。

例えば百姓で大きな田んぼを作ってたくさん食べ物を作った人には、人は税の一部を免除するだとか、地位を1ランク上にあげるとか・・・。

 

ただ国民からすれば、どう考えても作るコストに利益が見合ってなかった。

そのため、百万町歩開墾計画から逃れるため夜逃げする者が多く出た。

 

三世一身の法

政府側はこの状況を見て、「なんとか国民たちに開墾をやらせられないだろうか」と考えた。

 

国民が百万町歩開墾計画から逃げ出そうとするのは、“コストに対する利益が少ない”からだと考えた政府は、じゃあもう少し旨味を増やしてやろうと決めた。

 

それが三世一身の法。

百万町歩開墾計画の一年後に出された。(723年)

 

これは、灌漑設備を一から作って田んぼを完成させた人は3代にわたって(自分の孫の代まで)田んぼを自分のものとしていい、としたもの。

灌漑設備はもともとあるものを使って田んぼを新たに作った人は、自分の代のみ自分のものとしていい、とした。

 

 

これ、当時の社会の仕組みだった「公地公民制」では異例中の異例だよね。

田んぼ私有OK!って言ってるんだもんね。

 

政府としてはかなり色を付けたつもりだったんだろうね。

 

 

しかし結果は・・・。

多少開墾しようとした人は増えたけど、大きな動きにはならず新しい田んぼはあまり作られなかった。

 

灌漑設備を作るってのはさっきも言った通り本当に大変な作業。

でもそれを避けて、元々ある灌漑設備を使った田んぼを作ると所有権は自分の代までしかない。

 

国民からすれば、「自分の代だけ田んぼが所有できるったって、死んだら国に没収されるんだろ?じゃあ面倒くさいしやりたくねえよ~」という考えになってしまうよね。

 

こうして、政府が食糧問題の対策として打ち出した「百万町歩開墾計画」「三世一身の法」は、どちらも不発に終わってしまう。

困った政府は、「じゃあもういっそのこと、永久に田んぼの私有認めてやるから田んぼ作ってくれ!」という法を出すことに。

 

この話は次回。

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