今回は前回の話のつづき。
泰時は政子に呼び寄せられて急に執権となったけど、まだ準備ができてなかったために政治的能力は未熟だった。
そこへ政子の死が重なってしまい、ピンチに陥ってしまう。
義時はこの難局を乗り切るため、大きな改革に乗り出していくよ。
詳しく見ていこう。
泰時「専制政治は辞め!合議制にしよう」
泰時がまず着手したのは、頼朝の時代から断続的に続いてきた「専制政治」(強大な権力を持った人が好き勝手政治する)を止めて、合議制(何人かで話し合って決める)というシステムに変えること。
一旦は「十三人の合議制」を作ったけど、結局内輪もめでうまくいかなかったし。
特にこのころは、義時や政子への権力集中が目立つよね。
まず一つポイントなのは、泰時がなぜ合議制を推し進めたのか。
泰時はさっきも言ったように、結構急に決まった執権だったから、政治的な基盤がまだ整っていなかったといわれている。ものすごくざっくり言えば「御家人に舐められやすい」状態にあったと言える。
加えて、専制政治は当然部下である御家人たちの不満もたまってしまうよね。自分の意見が全く通らないこともあるわけだし。
こうした状況を打破するために泰時は2つの役職を新たに作って合議制をしくことにした。
その二つの役職っていうのが、「連署」「評定衆」だ。
連署は「二人目の執権」
泰時は、京都の六波羅探題にいた叔父さんを鎌倉に呼び寄せて「副執権」という役職につかせた。
これが、「連署」のはじまり。
何か幕府から文書を出すとき、執権と連名で署名することから「連署」と呼ばれる。
泰時は自分を補佐してくれる連署を置くことで、政治能力の不足をカバーしたってことだ。
評定衆
泰時はこれと同時に、評定衆という有力御家人たちを集めたグループを作った。
まあ十三人の合議制に近いものだね。
泰時はこの評定衆っていう「御家人側の意見を取り入れる場」を作ることで「これからの幕府は専制政治じゃないんだよ~!」ということをアピール、御家人の不満を解消しようとしたんだ。
こうして泰時は、「執権」「連署」「評定衆」この三者で行われる合議制を確立したんだ。