平安時代

保元の乱までの経緯をわかりやすく。④平忠正と平清盛

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さて、いよいよ保元の乱の前日譚もこれで最後。

今回は、平氏内での対立について見ていくよ。

 

平氏の対立はこれまでの皇室や藤原氏、源氏の対立よりもかなりシンプル。

というわけで、さらっと見ていこう。

保元の乱には4つの対立が関係している

 

も~そろそろ耳タコだよねこの項(笑)。

でも繰り返し見ると覚えるからね。

 

保元の乱は

  • 皇族内の対立(崇徳すとく上皇 vs 後白河ごしらかわ天皇)
  • 摂関家内の対立(藤原忠通ただみち vs 頼長よりなが
  • 源氏内の対立(主に源為義ためよし vs 源義朝よしとも
  • 平氏内の対立(主に平清盛 きよもりvs 平忠正ただまさ

以上4つの対立が絡み合っている。

 

今回はラスト、平氏内の対立だ。

④平氏内の対立

 

保元の乱における平氏内の対立は、平忠正と平清盛の対立が主。

二人の関係は、叔父と甥ね。

 

対立の原因はかなり単純で、ぶっちゃけ忠正の嫉妬の要素が大きい。

 

Episode 1.鳥羽上皇に嫌われた忠正

 

忠正は元々、白河法皇の下に仕えていて、その後崇徳天皇の下や鳥羽上皇の下でも一時期仕えた。

普通にキャリアとしては上々だよね。

 

何も起きなきゃ良い立ち位置をキープできたはずだ。

 

がしかし、何かが起きてしまうんだよねえ。

原因はよくわからないんだけど、鳥羽上皇の治世で突然、上皇から勘当かんどう(縁切り)されてしまう。

 

勘当されるって相当のことだから、なんか上皇を怒らせることしちゃったのかもね。

 

結局これがもとで忠正は鳥羽上皇に仕える事ができなくなったばかりか、何の役職にも付くことができなくなった。

しかし無職のままでいるわけにもいかないので、忠正は摂関家(藤原頼長)の護衛を務めるようになった。

 

この流れ、何となく前記事「源氏内の対立」で見た源為義に近しいものを感じるよね。

 

 

Episode 2. 鳥羽上皇に重用された清盛

 

忠正とは全く逆に、清盛は鳥羽上皇から非常に重用されていた。

清盛のお父さんである忠盛のころから(というか忠盛の頑張りで)鳥羽上皇とは非常に仲がよかったので、清盛も当然可愛がられた。

 

一度、清盛が延暦寺の坊さんとトラブルになった時も、鳥羽上皇が率先して仲介に入り助けたこともあったりして、

鳥羽上皇と忠盛・清盛はべったりだった事がうかがえる。

 

忠盛が死んだあとは清盛が平氏のトップとなり、引き続き鳥羽上皇の下に仕えた。

 

 

この時点でもう察しつくと思うんだけど、「鳥羽上皇に勘当された忠正」と「鳥羽上皇に愛される清盛」がさ、良好な関係築けるわけがないよね。

 

しかも忠正は鳥羽上皇に批判的な頼長側についてるわけだしね。

 

結果的にこの対立は解消されないまま、保元の乱に突入することになる。

 

 

さて!4回にわたって見てきた保元の乱にまつわる各対立。

大体イメージできたかな?

 

次回はいよいよ、保元の乱本編に突入だ。

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