保元の乱までの経緯をわかりやすく。③源為義と源義朝

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保元の乱は、皇室の対立と藤原氏内の対立が原因のほとんどを占めている。

 

今回と次回では、この皇室・藤原氏の対立に付随する源氏、平氏内での対立を見ていくよ。

今回は源氏の方。

 

と言っても、源氏や平氏の対立は保元の乱の直接原因になったとは言えない。

むしろ、皇室内・藤原氏内の対立に“巻き込まれた”っていう方が近いんじゃないかな・・・と個人的には思ってる。

 

どういうことか、詳しく見ていこう。

保元の乱には4つの対立が関係している

 

はい、毎度おなじみ復習タイムね。

 

保元の乱は

  • 皇族内の対立(崇徳すとく上皇 vs 後白河ごしらかわ天皇)
  • 摂関家内の対立(藤原忠通ただみち vs 頼長よりなが
  • 源氏内の対立(主に源為義ためよし vs 源義朝よしとも
  • 平氏内の対立(主に平清盛 きよもりvs 平忠正ただまさ

以上4つの対立が絡み合っている。

 

 

今回は3つ目、源氏内の対立だ。

 

③源氏内の対立

 

保元の乱に参加した有名な源氏は、今回取り上げる為義と義朝以外にも何人かいる。

でもその中で一番大きな対立をしたのがこの2人。

 

実は為義ためよし義朝よしとも親子の関係にある。

なんでまた親子が戦う羽目になっちゃったのか・・・。

 

これまた非常にドラマチックなストーリー。

 

Episode 1. ダメ親父・為義

 

源為義は、若いころは検非違使けびいしとして、院の護衛役を担っていた。

院との関係も当初は良くて、院の近臣を奥さんとしてもらったりもしてた。

 

・・・がしかし、いつまで経っても為義は昇進できず、それどころか検非違使を解任させられるまでに至ってしまう。

 

その理由ってのがひどくて、

  • 強盗殺人を犯した自分の家来(郎党)をかくまう
  • 何も悪くない人を暴行しまくった家来をかくまう

などなど・・・

 

とにかく為義の家来は荒くれ者というかなんというか・・・

まあチンピラだらけだったわけよ。

 

で親分である為義もその家来たちの悪行を容認しちゃう。

 

こんなことを繰り返している為義の軍団に、院が信用置けるはずもないよね。

こういった素行の悪さが原因となって、役職を解かれて無職になってしまう。

 

とんでもないダメ親父だね、こりゃ。

 

ちなみに、同じ時期に朝廷入りした平忠盛は、為義とは対照的にどんどん昇進していって白河法皇・鳥羽上皇にも重用されていく。

(忠盛は清盛のお父さんで、平氏の力を爆上げした凄い人。)

 

ここら辺から、平氏と源氏に対する院の評価に違いが出てくるんだよねぇ・・・。

 

 

Episode 2. 苦労人の息子・義朝

 

父・為義の悪行によって、源氏全体のイメージが悪くなってしまった中で生まれた義朝。

義朝は幼い時に千葉県の知り合いの一族の下へ送られ、そこで成長していった。

 

その後義朝は京にいる父とは全く別に、東日本側で政略結婚などを駆使して堅実に勢力をつけていき、

若くして大部隊の長を務めるまでになった。

 

為義とはえらい違いだね。

 

しばらくすると「なんか東日本にスゲーやついるらしいぞ」という噂は朝廷にも届き、朝廷からお呼ばれされ、見事京へ進出した。

 

Episode 3. 為義と義朝の対立

 

義朝が京に進出したころ、父の為義の様子はというと・・・。

為義は、無職のままはさすがにヤバいと思ったのか、何とか自分の地位を取り戻すために行動を起こしていた。

 

院からの信頼はほぼ失われていたので、院側につくことは無理。

そのため、摂関家の藤原頼長に接近した。

 

藤原頼長の護衛として働くようになってからは次第に信頼を取り戻していき、最終的には院からも許されて検非違使に復帰することができた。

 

ところでこの頃、義朝は由緒ある家柄の女性を奥さんとしていて鳥羽上皇とかなり仲が良かった。

 

実はこれが大きな問題なわけ。

 

鳥羽上皇が藤原頼長とかなり折り合い悪かった、ってのは前回の記事(https://jahistory.com/hougen-no-ran-zanshi2/)で触れたよね。

 

そんな情勢下で、義朝は鳥羽上皇側に近づいていて、為義は摂関家の頼長側についている。

必然的に、義朝と為義の折り合いも悪くなるよね。

 

これに関連して、源氏一族は「義朝派」と「為義派」に内部分裂してしまう。

で、この対立は修復されることなく保元の乱に突入してしまう・・・というわけ。

 

 

なんか、ここまで見ると為義と義朝って巻き込まれた感あるよね。

対立はしょーがないにしても。

 

ネタバレになるけど、保元の乱で為義側が敗北した後、義朝は為義側を許してやってくれと嘆願したりもする。

対立はあったけど、親子としての情みたいなものは残っていたみたい。

 

 

 

 

 

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