平安時代

保元の乱までの経緯をわかりやすく。①崇徳上皇と鳥羽上皇

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さ~、今回からいよいよ平安時代も戦乱の世へと移り変わっていくよ。

蹴鞠けまりしてる場合じゃない。

 

今回のテーマである保元ほうげんの乱は、ハッキリ言って超分かりにくい。

何が分かりにくいって、保元の乱が起きるに至るまでの経緯が複雑すぎるのよ。

 

上皇と天皇、摂関家(藤原忠通ただみち頼長よりなが)の対立があって、そこに源氏・平氏内のゴタゴタ・・・これが全部絡んでくる。

既にめんどくさそうでしょ?

 

避けて通りたいけど、歴史上保元の乱はとっても重要な乱なのでそうもいかない。

というわけで、ゆっくり分かりやすく説明していこうと思う。

保元の乱には4つの対立が関係している

 

冒頭でも触れたんだけど、保元の乱は色々な対立が絡み合って起きた戦い。

まずはこれをハッキリさせないと、よく理解することはできない。

 

保元の乱は

  • 皇族内の対立(崇徳すとく上皇 vs 後白河ごしらかわ天皇)
  • 摂関家内の対立(藤原忠通ただみち vs 頼長よりなが
  • 源氏内の対立(主に源為義ためよし vs 源義朝よしとも
  • 平氏内の対立(主に平清盛 きよもりvs 平忠正ただまさ

以上4つの対立が絡み合っている。

(ただし、この中で一番中心になった対立は皇族内の対立。

 

じゃあまずは一つ目、皇族内の対立から見ていこうか。

 

①皇族内の対立

 

この対立は実に昼ドラチックな、ドロドロした出来事が発端になっている。

 

ちょっとおさらい。

白河上皇が院政を始めたころ、時の天皇は堀河天皇だった。

がしかし、堀河天皇は病弱だったこともあって早くになくなってしまう。

 

次の天皇になったのは、堀河天皇の息子・鳥羽とば天皇だ。

しかし天皇になったのはわずか5歳の時で、当然政治なんかできない。

 

だから白河上皇(のち法皇)による院政が本格化していったんだったよね。

 

Episode 1.捨てられた?藤原璋子しょうこ

 

さて。

鳥羽天皇が大人になると、白河法皇の養子だった藤原璋子ふじわらのしょうこ待賢門院たいけんもんいん)と呼ばれる女性を妻に迎えた。

で、子供にも恵まれる。

 

この子供は数年後、鳥羽天皇から譲位され崇徳天皇となる。

鳥羽天皇も上皇となって、院政をやろうとしたわけだ。

 

まあここまではフツーの流れだよね。

 

 

問題はここからだ。

白河法皇が病死し、いよいよ鳥羽天皇による院政が敷かれるぞ、というときのこと。

 

ひょんなことから璋子に対してある噂が立つようになる。

 

「璋子ってもしかして白河法皇の愛人だったんじゃないの?」

「子供の崇徳天皇も、もしかして鳥羽天皇の子じゃなくて白河法皇との子じゃないの?」と。

 

璋子としてはこんな噂流されちゃたまらないよね。

 

しかし不幸はこれだけでは終わらない。

 

なんとそのころ鳥羽上皇は、別の女性・藤原得子ふじわらのなりこ美福門院びふくもんいん)とイチャイチャしていて子供を作り、

あろうことか自分の息子・崇徳天皇を無理やり譲位させて得子との子を近衛このえ天皇とした。

 

取り付く島もなくなった璋子は、立場を失い出家を余儀なくされてしまう。

 

 

Episode 2.院政ができない崇徳上皇

 

悲惨な運命をたどったのは璋子だけじゃなかった。

崇徳天皇は、鳥羽上皇が得子との間に作った子供を天皇(近衛天皇)にしようとしたため譲位させられ、思わぬ形で上皇となってしまう。

 

これが非常に大きな問題となった。

院政ってのは、上皇と天皇の間に「親―子」または「祖父―孫」の関係がないと成立しない、というしきたりがあった。

 

じゃあ今さ、崇徳上皇と近衛天皇は、どういう関係になってる?

崇徳上皇も近衛天皇も、母は違えど鳥羽上皇の子。

 

つまり、崇徳上皇と近衛天皇は兄弟になっちゃってるわけよ。

すなわち、崇徳上皇はこのままでは院政をすることができない。

 

崇徳上皇は困り果てるも、今更どうしようもないので黙って指をくわえてみているしかなかった。

・・・が、思わぬチャンスが舞い降りる。

 

 

Episode .3崇徳天皇の儚い夢

 

なんと、近衛天皇が若くして重病にかかり、死ぬのも時間の問題・・・という状況になったんだ。。

当然、次の天皇を決める必要が出てくる。

 

ここで一番有力だったのが、崇徳上皇の子だったんだ。

もし正式に崇徳上皇の子が天皇となれば、晴れて崇徳上皇は院政を敷くことができる。

 

崇徳上皇にとっては夢にまで見た院政のチャンス。

 

しかし、その夢は根も葉もない噂によって潰されることになる。

 

どこからか、

 

「近衛天皇が重病になり死にそうになっているのは、崇徳上皇と藤原頼長(この人については次回)が呪い殺そうとしてるからだ・・・」

 

と噂が流れ、これが鳥羽上皇の耳に入る。

 

真に受けた鳥羽上皇はブチ切れ、「何が何でも崇徳の子に天皇の座を譲るな!」と言い放った。

そして、強引に崇徳天皇の弟にあたる人物を天皇とした。これが後白河天皇になる。

 

結局、崇徳上皇はまたしても院政を行うことができなくなってしまった。

崇徳天皇も、さすがにこの頃になると苛立ちや鬱憤が溜まってくる。

 

そして、鳥羽上皇の死に際して、その鬱憤が爆発し保元の乱につながることになる。

 

 

どうだったかな。

すごくドラマチックな人間関係や権力問題が関わっていたことが分かると思う。

 

この後起こる保元の乱は、崇徳上皇と後白河天皇の対立・・・と教わると思うし実際そうなんだけど、

この乱の裏には鳥羽上皇と崇徳上皇の確執があったこと、ってのを頭に入れておいてほしい。

 

 

 

ところで。

Episode3の、“近衛天皇は崇徳上皇と藤原頼長が呪い殺したんだ”という、「根も葉もないうわさ」。

 

なんか怪しくない?

 

妙に思った人は、ご明察。

実はこのうわさには、摂関家である藤原氏内での対立がかかわっているんだ。

 

次回は摂関家内の対立について見ていくよ。

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