平安時代

保元の乱までの経緯をわかりやすく。②藤原頼長と藤原忠通

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保元の乱で中心となった対立は、前回見てきた「皇室内の対立」なわけだけど、

これに摂関家の対立も加わってくる。

 

どういうことか、詳しく見ていこう。

保元の乱には4つの対立が関係している

 

前回もこの項は書いたんだけど、対立構造をしっかり理解してもらいたいから、毎回かくことにするよ。

 

保元の乱は

  • 皇族内の対立(崇徳すとく上皇 vs 後白河ごしらかわ天皇)
  • 摂関家内の対立(藤原忠通ただみち vs 頼長よりなが
  • 源氏内の対立(主に源為義ためよし vs 源義朝よしとも
  • 平氏内の対立(主に平清盛 きよもりvs 平忠正ただまさ

以上4つの対立が絡み合っている。

(ただし、この中で一番中心になった対立は皇族内の対立。

 

今回は2つ目、摂関家の対立だ。

 

②摂関家内の対立

 

これもね~、皇室内の対立よろしくドロドロ展開なんだよね・・・。」

 

夫婦の間に子供が長い事子供ができなくて、でも子供が欲しいから養子を迎え入れた。

しかしその後、運よく夫婦の間に実の子が生まれた。

 

その結果、血のつながっていない養子は夫婦に疎まれていく・・・。

 

みたいなね。

これ以外にも親子関係とか兄弟に注がれる愛情の差とか、いろいろ家族の問題が関係してくる。

具体的に見ていこう。

 

Episode 1.忠通による外戚関係の構築失敗

 

忠通の父である忠実が関白の座を辞したので、繰上りで忠通が鳥羽天皇の関白となった。

 

天皇が変わってもずっと関白の座に居続け、鳥羽・崇徳・近衛・後白河の関白を務めた。

(だから保元の乱でも後白河の方に付くよ。)

 

さて。

白河上皇が始めた院政以降、摂関家の権力は弱まるばかり。

 

上皇が摂関の代わりみたいなことをやっちゃうせいで、摂関家の必要性があんまり無くなってきちゃったからね。

外戚関係も一旦切れたし。

 

忠通はここらでもう一度外戚関係をしっかり築いて、摂関家の力を復活させようと目論んだ。

忠通は“子だくさん”とは行かなかったけど、幸い一人だけ娘(藤原聖子)がいた。

 

そこで、忠通は聖子を時の天皇・崇徳天皇と結婚させた。

聖子が子を産んでくれれば、忠通は外祖父として強い外戚関係を得ることができる・・・と目論んでいたわけだ。

 

しかし現実は上手く行かず。

聖子と崇徳天皇の間には残念ながら子供が生まれなかった。

 

それどころか、崇徳天皇は他の女性に現を抜かしてしまい、子供を作ってしまう。

こうなると正妻ポジの聖子も、外戚関係を作りたかった忠通も「はぁ!?!?」ってなるわな。

 

この出来事で忠通は崇徳天皇を快く思わなくなっていき、保元の乱で崇徳天皇と対立する原因の一つにもなった。

 

Episode 2.忠通と頼長のすれ違い

 

聖子による外戚関係が築けず、万事休すか・・・と思っていたものの、

忠通のお姉さんが鳥羽上皇の奥さんになったことで、何とか皇族との関係を作ることができた。

 

一安心した忠通は次に、自分の関白の座を継ぐ後継者を決めようとした。

忠通はさっきも言った通り子供は聖子ひとりだけ。

 

現状自分の座を継ぐ後継が居ないので、養子をとることにした。

ここで養子になったのが、自分の弟でもある藤原頼長だった。

 

このまま何もなければ、頼長が忠通の後を継いで丸く収まるはずだった。何もなければね。

 

しかしなんと、忠通はここへきて子宝に恵まれる。

自分の実の子が生まれたんだ。

 

忠通は当然、自分のかわいい息子を後継者にしたくなるよね。

じゃあ養子になった頼長はどうすんだと。

 

だんだん「要らない子」扱いされていくわけだね。勝手なもんだ。

 

この養子をめぐる一連の出来事で、忠通と頼長には深い溝ができることになる。

 

Episode 3. 忠通と頼長の決別

 

そんな忠通と頼長の対立が決定的になったのは、近衛天皇の奥さんをめぐる出来事だった。

当初、近衛天皇は頼長の養子(娘)と結婚しようとしていた。

 

が、これに忠通はNOを突き付けた。

近衛天皇の父である鳥羽上皇に、「摂関の座についている人の娘じゃないと、天皇の奥さんは務まんないっすよ?」と言って頼長を牽制したんだ。

 

しかも、近衛天皇の嫁候補として忠通もわざわざ養子をとってね。

 

結果的に、近衛天皇の正妻ポジは頼長の養子、側室ポジは忠通の養子となったんだけど。

この時点で忠通・頼長両者ともお互いを敵と認識するようになった。

 

 

Episode 4. 孤立する頼長

 

頼長はその後、朝廷で官職につくと、「この国の政治はたるんでる!俺が修正してやる!」と異様に燃えはじめた。

その結果、強引ともとれる施策を数々繰り返した。

 

普通に“ダメなとこを改善していく”とかなら良かったんだけど、自分のルールを周りに押し付けて周りの話を聞こうともせず改革しようとしたために、周りから強い反感を抱かれるようになる。

 

終いには朝廷内はもちろん、有力な寺社や果ては上皇・天皇からも疎まれる存在になってしまったんだ。

 

こうしてあちこちで敵を作ってしまった頼長は、

朝廷内にどこからともなく流れた「近衛天皇が死にそうなのは崇徳上皇と頼長が呪ったからだ・・・」という噂によって失脚してしまう。

 

もし頼長がみんなに慕われるような人なら、このうわさで失脚することもなかったかもしれないけどね・・・。

 

 

こうして独りぼっちになった頼長は、鳥羽上皇の死に際して突然謀叛人として殺されそうになる。(もちろん忠通側の陰謀)

万事休すの頼長は、鳥羽上皇派と敵対していた崇徳天皇に接近して対抗しようとする・・・。

 

で、保元の乱に繋がっていくというわけだ。

 

 

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