1875年の樺太千島交換条約から遡ること6~7年。
明治以降の北海道の歴史は開拓使、屯田兵、黒田清隆なくして語れない!失業した士族の救済、ロシアの南下政策から阻止、豊富な天然資源・・・
大学受験の日本史で屯田兵くらいし注目されない可哀想な北海道にスポットを当てる!!!
北海道の開拓使と屯田兵の違い
ちょっと、ドラマっぽくオープニング始めてみたんだけど気づいたかね。
俺のおじいちゃんが北海道出身でさ。ちょっと熱くなっちゃったんだよ。伝わったかな。
北海道と言えば、戊辰戦争の最後の戦い、五稜郭の戦いが繰り広げられた場所だよね。
旧幕府軍で懸命に戦った榎本武揚は黒田清隆の熱烈な要望で処刑を免れて、新政府でも北海道を任せられたよね、駐露大使もやってるし。
榎本武揚は1875年に樺太千島交換条約を結んでいるんだけど、開拓使が設置されたのはここから6年前、1869年の話。
○開拓使
北海道開発・経営の行政機関。この使ってのに騙されちゃダメだよ!行政機関だからね、官庁だよ官庁。
1869年から函館に設置されたよ。
開拓って名前なくらいだから、当時の北海道ってのは、なーんも無かったの!
で、時は明治維新じゃん。だから北海道も近代的にしていかねばならん!ってことで学校を創ったり、官営工場を建てたり、まぁいわゆる富国強兵をしていったわけなんだよね。
北海道ってのは地理的にロシアが近く、ロシアは虎視眈々と北海道を狙っていわけ、1854年の日露和親条約後はロシア人が樺太でふんぞり返ってやがったからさ。
黒田清隆は、北海道の開拓の責任者になって、「開拓使十年計画」なるものを立てて1000万くらい使って北海道を発展させることに力を注いだのね。
そんな中、お雇い外国人も来ているんだよ。
ケプロン・・・アメリカの農政家。1871~75年に札幌の都市建設や大農場経営をしたよ。
まぁアメリカもすげぇ広いじゃん。だから広い土地で農業をやるのはどうやってやるのか!的なことを教えてくれたそうな。
クラーク・・・こいつもアメリカ人。1876年に開拓使が呼んだ人。札幌農学校の教頭を務めているよ。
ただキリスト教を布教しちゃってて、後の内村鑑三や新渡戸稲造にキリスト教の影響を与えているよ。
これが開拓使だね。
○屯田兵
屯田兵は北海道開拓とロシアに対する警備にあたった農兵だね。
1874年に黒田清隆が建議して、屯田兵条例が出されたよ。1875年から続々と屯田兵になる人達が北海道にお引越し(=入植)して務めたわけ。
これって、なかなか良い士族授産でね。
宮城・青森・酒田の3県の生活に困窮している士族が屯田兵になったの。西郷隆盛も坂本竜馬も、
「明治維新で大政奉還で武士が職を失う。北海道に開拓にあたらせた方がいい」
とずっと考えていてね。黒田清隆がその意思を継ぐかのように実行に移したわけだね。
屯田兵ってのは普段は農作業なんかをして、いざ!って時のために軍事訓練を行っているの。
これがまたおもしろいな!ってかうまいな、って思うだけど士族としての誇りを失くさないように、「兵」って名前をつけているんだよね。さすが黒田清隆。
実際、屯田兵は西南戦争、日清戦争、日露戦争、と戦いに参加しているから士族としての誇りを持っていたんだね。