人物

平塚らいてうは青鞜社。市川房江は共に新婦人協会。

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人物シリーズ。

今日は女性の社会運動家たちだ。

1914年以降、日本第一次世界大戦で好景気を迎えたは良いものの、海運業・造船業ばかり儲かって庶民は物価上昇でそんなに生活が楽になったわけじゃなかったね。

米騒動は起きるし、労働者たちは過酷な労働を強いられて社会運動が活発になっていくよ。

社会運動や労働争議については、『鈴木文治は友愛会を設立した人物。大日本労働総同盟友愛会に改称。』の記事を読んでね。

 

その社会主義運動をけん引した女性が平塚らいうや市川房江だ。

 

平塚らいてう達の活動

こういった社会運動の仲で、女性の間でも自分たちを男性の従属的地位から解放しよう!

という運動が高まったんだ。

ご存知の通り戦前の女性の社会的地位は低かったからね。

平塚らいてうが女性の地位向上を目指して、つくったのは1911年の青鞜者。

 

ちなみにだけど、青鞜ってのは青い靴下の意味でさ。

ロンドンの女性作家たちが正装ではない青色の靴下を履いて参加して、女性らが盛んに文学について議論してたらしくて、『ロンドンは女性でも公の場で活発に議論できる』って事から青鞜って名付けたそうだよ。

 

平塚らいてうは雑誌『青鞜』を発刊して女性の覚醒を促したのさ。

「元始、女性は常に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である」

というのはたまに入試の史料問題にも出るから覚えておこう。

青鞜の発行部数は最初の1,000部から3,000部まで増加して、自由恋愛や自由結婚を論じた事で、世間から非難が浴びせられたんだ。

 

青鞜の後期の編集は市川房枝が担当していたんだけど、

市川房枝と平塚らいてうは1920年に『新婦人協会』を結成して女性にも選挙権を!ということで婦人参政権運動を行ったんだね。

 

青鞜 → 雑誌による思想啓蒙活動
新婦人協会 → 政治的活動

 

と覚えておくと良いね。

市川房枝と平塚らいてのう活動は実を結び1922年には女性の政治的運動が認められて、政治演説会に女性が参加できるようになったんだ。

1924年には婦人参政権獲得期成同盟会に発展したよ。

1920年新婦人協会 → 1924年婦人参政権獲得期成同盟会

この当たりを覚えておこう。

 

難関大学を受験する人は、山川菊栄と伊藤野枝が結成した赤瀾会(せきらんかい)も覚えておこう。

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