第一次近衛内閣は日中戦争の勃発に不拡大方針を取っいたけども、軍部強硬派の圧力で退陣してしまったね。
1938年1月に近衛文麿が「近衛声明」を出して中国の国民政府との和平の道を閉ざしてしまったよね。
近衛文麿に関して詳しく知りたい人は『近衛文麿はポンコツ!?「底なしの無能」呼ばわりの理由は盧溝橋事件にあった』の記事を読んでね。
その後首相となったのは平沼騏一郎。
有名な言葉を残して総辞職した人物だよね。
平沼騏一郎内閣
近衛文麿の後を継いで総理になったのが平沼騏一郎。
以前、共産主義を説明した時にもやったけどもソ連は共産主義の一党体制で日本にとってもかなりの脅威だったんだ。
日本が見出した道というのはイギリスやアメリカとは仲良くせず、思想が近いドイツやイタリアと同盟を組む事だったよね。
首相になった平沼騏一郎はドイツと軍事同盟を結びための交渉に臨んでいたんだ。
そんな矢先にドイツが「ソ連と不可侵条約を結びます」といきなり独ソ不可侵条約を結んでしまったんだよね。
ソ連に対抗するためにドイツと仲良くしていたのに、急にソ連と不可侵条約(互いに攻め入らない事)を結んじゃったもんだから
日本としては大ショック!
ったく、ドイツは日本と日独防共協定を結んでいるくせに勝手に独ソ不可侵条約なんて結びやがって!!
とあまりに激変する世界情勢についていけずに、
『欧州情勢は複雑怪奇』
と発言して総辞職するわけさ。
ドイツはソ連と東ヨーロッパの陣地取りを勝手に話し合っていたんだよね。
ドイツはポーランドに侵入したかったから、その準備のためにソ連と不可侵条約を結んだんだ。
可哀想な平沼騏一郎。
実はこの平沼騏一郎の発言から、日本は国際情勢をまったく把握できていなかったという事がわかってしまったね。と言うことなのさ。