江戸時代の輸送・通信手段として利用されたのが、「飛脚」。
「飛脚」のすごいところは『組織』として成り立っていたこと。今のヤマト運輸や佐川急便みたいな感じだね。
今回はそんな飛脚について、また飛脚って実際早いの?という疑問にも注目してみるよ。
飛脚のシステム
飛脚は、基本的に短い距離を何人ものリレーでつないでいくシステムになっている。
飛脚には、大きく分けて3つのタイプがある。
継飛脚
幕府や役人などが利用する公的な飛脚。家康が関東に来た時から設置されているよ。
各宿場で人を継ぎ変えてひたすら走る。
大名飛脚
継飛脚は幕府とその役人のものだったけど、この大名飛脚は名前の通り大名がそれぞれ設置した飛脚。
東海道では7里ごとに中継所を設けていたことから「七理飛脚」とも呼ばれていた。
これも人足で運ばれる。
町飛脚
これは民間によって営業されていた飛脚。
東海道を6日で走ったことから定六とも言われているよ。
飛脚はなんで馬を使わなかったの?
飛脚は人間がリレー方式で行った、と言うと「どう考えても人間が走るより馬が走った方が早いじゃないか!」と思うかもしれない。
というか、実際そうなんだ。
だけど、江戸時代では移動用として馬を使用できるのは武士階級の人だけだった。
だから飛脚が馬を使わなかったというより、一般人である飛脚には馬を使うことができなかった、ということだったんだね。
飛脚のスピードって実際早いの?
飛脚にもグレードがあって、大阪から江戸へものを届けるスピードに差があった。
一番安いグレードの飛脚で大体一週間前後、本当に遅い場合は半月以上かかることもあったらしい。
しかし逆に最高グレードのモノになると、東京から大阪を2日ほどで走ってしまう!
・・・んだけど、これ時速に直すと大体9km/h。
マラソンの時速が大体19km/hくらいだから、「あれ?実はそんなに早くない・・・?」と思ってしまいがち。
しかしよく考えてみてほしい。日本は平たんな地形じゃないよね。
いくら東海道とは言っても、山坂はたくさんある。
そんな中を2日で走ってしまうんだから、すごいことだ。
ちなみに最高グレードの飛脚のお値段はなんと140万円ほど。
た、高すぎる・・・。
まとめ
江戸時代では、飛脚は非常に重要な輸送・通信手段だった。
現在、毎年正月に行われている箱根駅伝はこの飛脚が由来なんだって。