昭和時代

東久邇宮稔彦王の読み方は『ひがしくにのみやなるひこおう』史上唯一の皇族内閣。

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日本が戦争で負けてポツダム宣言を受諾した後に誕生した内閣。

東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)だね。僕も大学受験生の時はこの読み方がわからなくてね、漢字まで覚えようか悩んで結局覚えなったよ。

この内閣は史上唯一の皇族内閣で彼は皇族でありながら陸軍大将という戦後の日本を統治するための傀儡として

アメリカにとって都合の良い人物だったんだよね。

とても長生きした人物で102歳まで生きたそうだよ。

 

GHQによる間接統治に関しては『間接統治とは?直接統治との違いとGHQの日本の統治方法。』の記事を読んでね。

 

東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣

日本が戦争で負けた3日後の3月17日に東久邇宮稔彦は内閣総理大臣に任命されるよ。

軍部の一部の人たちは日本の降伏予告に納得していない人達もいたから、陸軍大将であり皇族出身の東久邇宮稔彦が総理になれば

軍部の不満を抑える事ができると昭和天皇の賛成だったわけだね。

 

彼は主に敗戦処理にあたった人物として大学受験の日本史では覚えておきたい人物。

東久邇宮稔彦は大きな混乱もなく、日本の内地、そして外国にいる日本人の武装を解除して連合国軍の進駐を受け入れたよ。

こういった日本人が素直に敗戦を受け入れているようで、GHQは間接統治を選択して、天皇も処刑しないようにしたんだ。

当時、戦勝国の間でも統帥権をもった天皇を東京裁判で処刑しようという考えがあったんだけど、日本人にとって絶対的である

天皇を処刑なんかしたら、日本人がどんな狂った行動に出るかわからないからね。

 

東久邇宮稔彦は降伏文書の調印も無事に終えて、9月4日に開かれた帝国議会では

昭和天皇の開会式の勅語に『平和国家を確立して~』という文言が東久邇宮稔彦の提案で入れられるくらいだったんだ。

敗戦処理に当たった東久邇宮稔彦は陸軍大将であったにもかかわらず、『平和国家を確立して~』という言葉を提案するくらいだから

なんか感慨深いよね。

 

東久邇宮稔彦で特に有名なのが、『一億総懺悔』だね。

「ラジオを通してあらゆる人に懺悔を呼び掛けましょう。老いも若きも、男も女も、職業のいかんを問わず、こぞって過去の思い上がりを改め、平和国家に生きる民としての一歩を始めるように」

として、軍部も民も議員もどんな宗教であっても、日本人全員で過去の過ちを反省して懺悔しようと働きかけたんだ。

 

東久邇宮稔彦が総辞職した理由

そんなに良い人物なら、なんで総辞職したの!?

こういった疑問が知識の定着をはかるから、しっかり理解しておこう。

 

ちょっと思い出して欲しいんだけど、日本が戦争に突っ走っていたころに、共産党員はかなりきつい締め付けをされていたよね?

1925年には治安維持法が出されて、集会して思想を語り合ったりとか政府の考えに反論するような人達は刑務所に入れられたじゃない?

GHQは1945年10月4日『人権指令』を出してこういった人達の人権を確保するために釈放する事を命令したんだね。

ほら、民主主義の原理原則を犯している事はを戦前の日本はしていたわけだから。

でも共産主義の人達を世に出したら、戦後もっと混乱するんじゃないか?って事で内務省と司法省はかなり反対していたんだね。

内務省は昭和天皇とマッカーサーが並んで写真撮っている様子を公開する事にも猛反発していたからね・・・。

 

東久邇宮稔彦はこのGHQの指令は不合理だとして総辞職したんだよ。

GHQは間接統治とは言え、いざって時は命令してい良い権利があったからね。

 

これが戦後直後の日本の政治だね。

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