平治の乱(前半)では、信西派と後白河派(信頼)&二条派のバトルが繰り広げられたね。
まあ清盛がいなかった事もあって一方的な結果になったけど。
後半はどうなるかというと、今度は「信頼と二条派」のバトル。
ここに事件の知らせを聞いて急いで京に戻ってきた平氏勢力も加わってきて、前半よりも大規模な戦闘になるよ。
詳しく見ていこう。
信頼の暴走
平治の乱(前半)の功労者となった信頼は、結果的に大きな権力を持った。
それを良いことに、信頼は勝手に仲のいい源氏たちに良い地位を与えたりするなど、調子に乗り始めた。
当然、二条天皇擁する二条派も、朝廷に仕える官僚たちも、突然しゃしゃり出てきた信頼には不快感を抱く。
なんか信西の時と似たようなパターンだよね・・・。
二条派と平氏の協力
信頼が暴走していたころ、清盛は急いで京に戻っている最中だった。
その道中、清盛は二条派の連中から「信頼打倒のため、我々に協力してくれないか」と持ち掛けられていた。
二条派は、信頼の存在が邪魔でしょうがなかったので、平氏の軍事力を持って潰してほしかったのね。
清盛はこれに応じ、ここで平氏と二条派のタッグが成立した。
平治の乱(後半)の顛末
信頼は、自分の息子と清盛の娘が政略結婚していたこともあって、「まあ清盛も京都に帰ってきたら俺の仲間になってくれるだろ」と高を括っていた。
清盛が二条派と手を結んでいたことも知らずにね。
清盛は信頼を油断させるため、京に戻るとすぐさま「信頼様に従います」と伝えた。
これで安心した信頼をよそに、二条派は信頼を倒すべく行動を開始する。
まず二条派、信頼を側近としている後白河上皇のもとにコッソリ使いを送り、
「後白河さん、これからアンタの側近・信頼は殺されるんで。巻き添え食ら居たくなければ俺たちと一緒に来てもらえますか」と伝え、
これを聞いた後白河上皇は急いで逃げ出す。
次に、二条天皇を清盛の住まいに移動させ、官僚たちにこれまたコッソリ
「おい、二条天皇は朝廷を抜け出して清盛の邸宅に移動なさったぞ。お前らも天皇に仕える者なら、ついてこい。」
と耳打ちした。
次の日の朝、信頼が起きてみると・・・。朝廷はもぬけの殻。
信頼残してみんな二条天皇のいる清盛の邸宅へと移動してしまっていた。
ぽつんと残された信頼と少数の源氏(義朝など)の軍。
そこに満を持して、信頼追討の命を受けた清盛の大軍がやってくる。
軍事力に大きな差があったこともあって、信頼と源氏の軍はあっけなく敗北を喫することになる。
信頼はもちろんのこと、義朝など源氏の有力な武士たちも次々死んでいった。
こうして信頼を排除し、朝廷の実権は二条天皇ら二条派が取り戻した。
その後
平治の乱で半ば蚊帳の外に置かれた、後白河上皇はというと。
側近としていた信頼は死に、その後ろにいた軍事勢力である源氏も致命的なダメージを負った。
よって、後白河派は相当弱体化した。
というわけで乱後しばらくは後白河上皇、かなり軽んじられてた。
時には陰湿な嫌がらせを受けたりね。
さすがに堪忍袋の緒が切れた上皇は、その嫌がらせをしてきた二条天皇の側近をとっ捕まえて流刑にしてしまう。
これは二条派にとってかなり効いた。
二条派にとってこの側近2人はとても重要な人物だったので、
これを排除されてしまった二条派は下手に後白河上皇を刺激しないようになった。
結果、後白河派と二条派はにらみ合ったまま、それぞれが政治を行うという「二頭政治」へと移行した。
また、この平治の乱でひたすら功績を上げた清盛と平氏一族は、非常に大きな信用を得た。
後に官僚の重要ポストに平氏一族が就くなど、政治への影響力も増していった。
そしてこれが平氏政権の成立に繋がっていくことになるよ。
さて、義朝など有力武士を失った源氏はどうなったか。
平治の乱に参加した源氏は全滅したかに思われたけど、一人だけ色々あって命を助けられた人物がいた。
これこそ、鎌倉幕府を築き上げるまでになる武士・源頼朝ってわけだ。
さてこの後どうなっていくのかは・・。
次回以降の記事で!