平治の乱は誰と誰が戦ったの?相関図で分かりやすく。【前編】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

保元の乱によって、崇徳上皇とその派閥は敗北。

後白河天皇を擁する鳥羽派が勝利したよね。

 

というわけで後白河天皇の治世が始まるわけだけど、前回のラストでちょっと触れたように、

後白河天皇の裏には信西という坊さんがいたんだよね。

 

後白河天皇は鳥羽vs崇徳の争いに巻き込まれる形で、唐突に天皇になっちゃった系の人だから、側近である信西に頼らざるを得ない状況にもあった。

結果、後白河天皇による政治というよりも、「信西による政治」が始まることになるんだけど。

 

これがまた、新たな対立を生んでしまうんだ。

詳しく見ていこう。

平治の乱は2つに分けて考えよう

 

“平治の乱”と一言で言っても、この乱の最中で対立する勢力の動きが激しすぎて、非常にわかりにくい。

というわけで、平治の乱を前半と後半に分けてみよう。

 

  • 平治の乱(前半)・・・信西 しんぜいvs 藤原信頼のぶより(後白河派)&二条にじょう
  • 平治の乱(後半)・・・信頼 vs 二条派

 

ね?交戦した勢力が前半と後半で大きく変わってるでしょ?

これを一まとめにして学ぼうとすると十中八九ゴチャゴチャになると思うから、前半と後半で分けて考えると良い。

 

じゃあ、本編に入っていこうか。

 

 

平治の乱までの経緯

 

信西の台頭

 

信西は後白河天皇の側近として政治の実権を握り、

荘園整理など政治改革を進める一方で、自分の利権を拡大していった。

 

その過程で、当時最有力だった武士一族・平氏と政略結婚などで親密な関係を築いていき、その権力をどんどん強固なものにしていった。

 

 

信西の対抗勢力「二条派」

 

ところが、そんな信西も逆らえないというか、無下にできない勢力が一つだけ存在した。

その勢力こそ、鳥羽上皇の奥さんだった藤原得子なりこ美福門院びふくもんいん)とその取り巻き。

 

得子は鳥羽上皇の死に際して、上皇の遺産をほぼ全て継承したので強大な財力・権力を持っていたんだ。

加えて、信西も得子ももともとは鳥羽上皇の側近だったこともあって、両者は昔から繋がりは強かった。

 

で、得子はかねてより自分の養子を天皇にしたいと思っていたので、信西に「うちの子を天皇にしてちょうだい」と要求する。

 

信西としては、正直得子の派閥から天皇を出したくはない。

自分の思い通りになるか分からないもんね。

 

でも得子の権力も大きいから却下することもできず、信西と得子の話し合いの結果、要請通り得子の養子を天皇とした。

後白河天皇は半ば譲位させられた形で上皇となる。

 

ここで誕生した天皇が二条天皇だ。(得子の養子であり後白河の息子)

得子たち二条天皇の取り巻きを「二条派」と呼ぶ。

 

後白河上皇の新たなパートナー、藤原信頼

さて。

息子の二条天皇に譲位したことで、後白河上皇は院政を行うことになるわけだけど。

 

後白河上皇はかなり二条派に対してご立腹だった。

それもそのはず。頼りにしてた信西が得子に押され、結果的に譲位させれられてしまったんだもんね。

 

てなわけで後白河上皇は信西も嫌いになったし、二条派も嫌いになった。

 

 

信西に見切りをつけた後白河上皇は、新たに側近をつけようと考えた。

そこで抜擢されたのが藤原信頼のぶよりという人物。

 

この信頼は、保元の乱で活躍した武士の源義朝と非常に親密な仲にあった。

 

後白河上皇は信頼を側近とすることで、自動的に源義朝をも自陣に組み込むことができたわけだ。

 

平氏(清盛)の政治的な立ち回り

 

さっき信西の説明のとこで、“信西と平氏は親密な関係になっていった”と書いたよね。

じゃあ平氏は信西派になったのかというとそうではない。

 

平氏は信西派と仲良くする一方で、実は後白河派の信頼ともパイプを作っていたんだ。

要するに中立の立場を維持したわけ。

 

信西派に寄るとか、後白河派に寄るとかをせずにね。

こういうトコが清盛の立ち回りの良さを物語ってるね。

 

 

後白河派と二条派は乱前半でなぜ協力するの?

 

さて。

平治の乱が発生する直前までに、

  • 信西派
  • 二条派
  • 信頼(後白河派)

の三つの派閥が誕生していた。

 

で、そのどれかに深入りするでもなく、みんなにいい顔して中立の立場を維持していたのが平氏(清盛)

 

まず平治の乱(前半)では、信西派と後白河派(信頼)&二条派がバトルする。

ここが非常に分かりにくいポイントだ。

 

まず後白河派と二条派だけど、この2派はそもそも対立関係にある。

後白河は譲位させられた事で二条派を恨んでるし、二条派は院として力を持とうとする後白河を嫌ってるからね。

 

しかしこの2派とも共通して、「信西がマジで邪魔」と思っていた。

 

信西は保元の乱で活躍したのを良いことに、

自分主導の政治したり・自分のかわいい息子たちを偉い官僚ポストにつけたり・二条天皇即位後に娘を嫁がせようとしたり・・・などなど、やりたい放題やっていた。

 

これが二条派としても、後白河派としても、気にくわなかったんだ。

なんで皇族でもないお前が権力振りかざしてんだと。

 

そういうわけで「信西を潰す!」という点で意見が一致した後白河派と二条派は、協力して信西を排除することにした。

だからこの2派が信西派と対立するわけね。

 

 

平治の乱(前半)の顛末

 

平治の乱(前半)は、結構あっさり終わる。

 

この乱を先に仕掛けたのは、後白河派の側近・信頼。

信西と親密で、強力な軍を持つ清盛が地方に出向いていたタイミングを見計らって攻め込んだ。

 

まず信西の寝込みを襲おうと源氏軍ともども突撃するも、信西は一足早く逃げ出していてこの時は取り逃がした。

 

しかし逃げ出せたのは信西だけで、息子たちは逮捕&流刑となる。

その逃げ出した信西も、追手から逃れることができず途中で自殺してしまう。

 

とまあこんな感じで、信西側は特に反撃することもできず壊滅した。

 

これで信西派は消え一件落着・・・とはいかなかった。

平治の乱(後半)は、次回見ていくよ。

 

オススメの動画コンテンツ

低料金で最大の効果を発揮するコンテンツ

・音情報で理解を高めたい
・知識を入れながら、流れも理解したい
・息抜きに動画で学習したい

方はスタディサプリの動画コンテンツがオススメです。【14日間の無料トライアル】ができます。

スタディサプリの無料体験

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*