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林銑十郎内閣は食い逃げ解散と揶揄されてわずか4か月での退陣。

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外交官という文官出身の内閣総理大臣にもかかわらず、東京裁判で死刑となって広田弘毅内閣。

広田弘毅は軍部大臣現役武官制を復活させた事で陸軍の発言力が強くなり、日本は軍国主義国家体制に舵を取っていったよね。

そんな広田弘毅内閣も退陣に追い込まれるわけなんだけど、あまりにも軍備を拡張していて、軍事予算にお金を使いまくっていたんだ。

国際収支が悪化した事で、政党勢力からやんややんや言われまくって退陣したんだよ。

政党勢力にやんややんや言われている様子が軍部にとって『まだまだ高度国防国家には程遠い!』広田弘毅では不満!

として板挟みにあってしまうんだ。

その後、成立した内閣が第33代林銑十郎内閣ってわけだね!

 

林銑十郎内閣とは?

1937年1月に広田弘毅内閣が退陣した後に、実は宇垣一成が後継首相の大命を受けていたんだ。

元老の西園寺公望が宇垣一成いいじゃん!

と推していたんだけど、宇垣一成は陸軍の大物なのに軍国主義に反対していて、中国やイギリス、アメリカとも穏健なポジションを取っている人物だったんだ。

 

でも陸軍はイギリス、アメリカを敵対視して日本の中国での領土をどんどん拡大していく政策だったから、

宇垣一成を総理大臣にしないように画策したんだね。

どうやったかって?広田弘毅内閣の時に軍部大臣現役文完成を復活させたから、陸軍大臣は現役の軍人じゃないといけないわけだよね?

石原莞爾を中心に『宇垣一成が総理になるなら、誰も陸軍大臣になってあげない!組閣できないでしょー!!』

という態度を戸て宇垣一成が総理になるのを阻止したんだ。

この事件は陸軍の発言力がいかに強くなっているか?というのを物語っている出来事だよね。

 

ごめんね、全然林銑十郎の話していないね。

ちょっと待ってて。

 

その後、林銑十郎が首相に抜擢されるんだけど、既成政党(立憲政友会・立憲民政党)の協力が得られずにわずか4か月で退陣したんだ。

 

林銑十郎の食い逃げ解散とは?

この林銑十郎ははちゃめちゃで面白い人でね。

皇道派の推薦で首相になったのに、組閣後に統制派になったりしたしね。

皇道派と統制派の違いについて詳しく知りたい人は、『二・二六事件とは? 皇道派と統制派についても』の記事を読んでね。

 

林銑十郎はわずか4か月で退陣するんだけど、昭和12年度の予算が可決された後に理由もなく解散したんだよね。

衆議院の解散ってのは現代社会だと普通『国民の信を問う』って事でやるじゃん?与党あ打ち出す政策に対して、国民はどう考えているのか?本当に賛成していて与党を信用してくれているのか?って事でさ。

ちょっと時代背景が違うけども、当時も大事な政策だったりを迎えて賛成が得られない時に解散するもんじゃん。

軍事費の拡張で問題を抱えていた政府が、予算が可決された後に、解散するなんて

『子馳走食った後に逃げた』

という事で食い逃げ解散って呼ばれてしまうんだね。

 

その後、内閣総理大臣になった近衛文麿に悲しては『近衛文麿はポンコツ!?「底なしの無能」呼ばわりの理由は盧溝橋事件にあった』の記事を読んでね。

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