ハリスをご存じであろう。
日本人にとってはにっくき存在かもしれないが、日米修好条約を成功させた立役者だ。このハリス、実はけっこうかっこいい名前である。本名はタウンゼント・ハリス。
こいつってなかなかのネゴシエーターでさ。ハリスが現代の日本でナンパしたら100発100中なんじゃね?ってくらいの交渉力だよ。
彼が何故日本にきて日米修好通商条約の調印に成功したのかを今回は見て行こう。
ハリスの役職・総領事について
今日はちょっと物々しく始めてみたよ。
ハリスがなぜ来たかって?そりゃ日米和親条約で、「18ヵ月後に下田に外交代表を駐在させるから!」って約束させられたからだね。
18ヵ月後ってのが謎かもしれないけど、そーゆー約束だから来たわけ。でもね、江戸幕府は徳川家斉を筆頭に猛反対し始めたんだよね。ハリス超可哀想じゃん?
アメリカの大統領の推薦の下、日本に行ってみたら、ちょっと拒まれている的な。
でもね、こいつかなりしぶとい奴でさ。
何度も、将軍との会見を希望するんだけど、1年くらい待たされるんだよね。まぁ日本にとっても駆け引きだよね。簡単に会っちゃうと通商条約を結ばなければならなくなっちゃうからさ。
焦らし作戦!!
そんな焦らし作戦にも負けずにじっくりと機を待つハリス。
ここで転機が訪れるわけ。
・・・アロー事件だね!!
覚えてる?イギリスがさ、中国にいちゃもんつけてフランスまで巻き込んで戦争を起こしたよね。あのアロー事件よ。ハリスってなかなか図太いやつでさ、いかにイギリスとフランスが野蛮でどうしようもないかってのを懇々と日本人に説明するのね。
『見てみ!イギリスとフランク超野蛮じゃん!植民地とかいっぱい持ってるし。あんなの最低じゃね?』
『俺と付き合ってくれたら、お前のこと守るから』
『蒸気機関車とか、電気とか、船とかそういった技術もあげるからさ』
『ね~付き合ってよ~』
と、日本に迫ってくるわけね、非常に優れた作戦だったわけよ。
マジ、ハリスすごいわ。「イギリスとフランスが連合になってきたら、日本負けるよ?」って脅したわけね。あっぱれ。
まぁ事実だったろうけど、江戸幕府は慌ててハリスとの日米修好通商条約の調印をするわけなんだよね。
このハリスとね、日米修好通商の協議をしていたのが、堀田正睦(ほったまさとし)だね。57年にハリスと協議してる。
これは覚えておいて損はないね。