さかのぼること政体書。
府藩県三地制で東京・大阪・京都を府として藩はそのままだったよね。結局、天皇が旧幕府の土地を貰っただけでなんも変わらねぇじゃん!!
ってことで、版籍奉還の流れに突き進んでいくんだよ。じゃあさ、藩主はどうなっちゃうの?クビ?安心して、知藩事になるんだよ。
今日はそこらへんについてやるよ。
版籍奉還をわかりやすく
藩主の領地と人民を天皇にお返しすること!!
これが版籍奉還ね。
この版籍奉還をしよう!と決めたのは、大久保利通と木戸孝允。
こーゆー改革をしなきゃいけない時はやっぱりトップダウンだよね。まずは上が示さないと下の人間はついてこないでしょ。
だから、薩摩・長州・土佐・肥前の藩主が版籍奉還を出願して、他の藩の藩主もそれにならったのね。
覚え方は、さっちょうどひ!ね。語呂合わせでもなんでもないけど、
なんだか語呂が良いから覚えちゃうんでしょ。
2~3回いっとく?
さっちょうどひ!
さっちょうどひ!
さちょうどひー!!
もう十分かな。
「藩主は土地と人民を天皇に返すのが惜しくなかったの?」
と、良い質問が出てきそうなんで、早めに潰しておいてあげるよ。
そんなに大きくない藩は戊辰戦争でお金に困っちゃってたから。喜んで版籍奉還したんだよね。
新政府が版籍奉還を行った目的としては、戊辰戦争が終わって実際は政府が全国を支配するって形になったんだけど、各藩がその地域を取り締まっているから新政府の影響力ってのがあまりなかったんだよね。
だから大名に版籍奉還をさせて、新政府が統治しやすいようにしたかったわけ。
新政府は、藩主に戊辰戦争の恩賞なんかも渡して、版籍奉還をする不満などを起こさないようにしたんだよね。
版籍奉還の結果
実は、良い結果を残さなかった。
「今までの藩主は知藩事って職に就かせますから」
としたので、旧藩主がそのまま統治してたら・・・?ねぇ?
名前が変わっただけじゃん。って話でしょ。
人民からしても、ずっと大名様に守られてきたわけだし、崇めちゃってるからさ。
なかなか新政府>大名の構図にはなっていかなかったわけね。
そこで、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允らは
「藩をさ、ぜーんぶ失くしちゃうように、新たに区切り作ればよくね??」
ってことで、1871年の廃藩置県に動いていくわけだね。