日本書紀によると、大化の改新の際に出された「改新の詔」で、「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」の実施が宣言された・・・ということになっている。
まあでも以前見たように、日本書紀のこの記述は後から脚色されたウソの可能性が高まってきているわけだ。
じゃあ確実に班田収授法が実施されたのはいつなのか、というと・・・701年の大宝律令施行から。
今回は、大宝律令で具体的に定められた「班田収授法」について詳しく見ていくよ。
班田収授法を知る前に・・・
班田収授法という仕組みを見ていく前に、一つ前提として知っておかなきゃいけないものがある。
それは、「戸籍・計帳」というもの。
戸籍
戸籍が全国的に作られ始めたのは、670年(大化の改新期)が最初。庚午年籍(こうごねんじゃく)と呼ばれたりもする。
その後690年には新しく庚寅年藉(こういんねんじゃく)が作られて、これを機に班田収授法も始動した。
ところで戸籍ってなんのために作られたの?って話だよね。
戸籍が作られた目的は、「国が家族構成を正確に把握することで、正しく田んぼを配れるようにする」ため。
田んぼを配ろうにも、どこにどんな家族がいるのか分からなきゃ配ることすらできないからね。
戸籍は6年に1回更新される。
計帳
計帳ってのは何かというと。
戸籍よりさらに細かい情報(家族一人一人の年齢や性別や、果ては身長まで!)を記されたものが計帳。
計帳の目的は、国民に税を確実に・正確に負担させるため。
性別とか年齢によってかかる税は違ってくるから、一人一人正確に把握しないと税がキッチリかけられなくなっちゃう。
それを防ぐための計帳だ。
戸籍は毎年更新するよ。
班田収授法
さて、いよいよ本題の班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)だ。
まず最初に班田収授法の内容をざっくり言うと、「国民への田んぼの割り当て方」を示した法律。
・・・これだけじゃイマイチイメージつかないね。
具体的に見ていこう。
班田収授法の内容
~ルール~
- 班田収受(田んぼを貰う資格を得た人に田んぼをくばり、死んだ人の田んぼを回収する作業)は、6年に1回行われる。
- 班田収授は戸籍が作られた翌年に行われる。
- 一般民衆には、「口分田(くぶんでん)」と呼ばれる田んぼが配られる。
という感じ。
で、学校の定期テストとかでよく聞かれるのは「配られる口分田の面積」について。
これは前回見てきた「良賤制」、良民か賤民かによって面積が変わってくることがポイント。(https://jahistory.com/goshiki-no-sen/)
~口分田の面積~
※1段=360歩
良民
- 男性→2段(たん)/女性→1段(たん)120歩(ぶ)
良民女性は良民男性の2/3をもらえる。
官戸&公奴婢
- 男性→2段/女性→1段120歩(良民と同じ)
前回の「五色の賤」の記事でも見たけど、官戸と公奴婢は良民と同じ田んぼを分け与えられる。
家人&私奴婢
- 男性→240歩/女性→160歩
家人と私奴婢は、良民の1/3しか田んぼがもらえない。明らかに少ないね。
ところで2段とか120歩だとか言われても、どれくらいの面積なのか分かりにくいよね。
イメージの例として、現代でいうと2段は大体2000㎡で、体育館2個分くらいのサイズなんだってさ。