江戸時代、百姓たちは常にといっていいほど幕府に対する不満を募らせていた。
それもそのはず。度重なる大飢饉に対してろくな対応をしてくれないんだから。
そのくせ年貢だけはふんだくっていく。
こんな不満が時々爆発して「もう許せない!!」と百姓たちが反抗した。
それが「百姓一揆」だ。
百姓一揆はなぜ起きた?
百姓一揆は、本当に簡単に言えば百姓たちの「不満の爆発」。
その不満っていうのが、「年貢があまりにもキツすぎる!」「役人が不正している!」「高利貸しが悪徳!」というようなもの。
百姓たちの地位は低かったから、言葉で訴えようとしても聞く耳を持ってくれないかもみ消されるのがオチ。
そこで、「口で言っても聞いてくれないなら、反抗するしかない。拳で。」ということになる。
百姓一揆にもやり方が何種類かある
一言で百姓一揆と言っても、これは百姓たちが一揆を起こしたことを総じていう言葉。
百姓一揆は、時代に応じてその性質が変わっていく。
- 代表越訴型一揆
- 惣百姓一揆
- 世直し一揆
権力のない百姓たちが、正式な手順を踏まずいきなり幕府・将軍といった最高権力をもった人のところに訴えに行くもの。
だから、これらを主導した人達は罪人とされ、ほとんどが死刑になった。
命がけの闘争だったんだ。
詳しくは次回以降の記事でお話しするよ。
まとめ
百姓一揆、と一言に言ってもやり方は何種類かあった。
でも百姓たちが無理やり幕府や将軍に訴えを出すには、だれかが犠牲にならなくてはいけなかった。
百姓一揆で犠牲になった人たちのことを、「義民」として称えた。