前回まで、絵画的な俳句を詠み、優れた文人画を描いた稀代の芸術家・俳人の与謝蕪村を見てきたね。
芭蕉が起こした蕉風俳諧の時代にあった「深み」を復活させた人物だったね。
今回見ていくのは、川柳だ。
といっても、川柳と俳句の違いって、季語の有無くらいしか分かんないよね。
実は、同じ俳諧連歌から分岐したものなんだけど、異なる分岐の仕方をしたんだ。
詳しく見ていこう。
俳句は連歌の「発句」から
与謝蕪村のところでも少し触れたけど、俳句はもともと連歌から生まれたものだ。
連歌は「五七五」「七七」「五七五」・・・・という風に繰り返して続けていくというものだったね。
俳句はそのうち、一番最初の「五七五」(発句)を独立させて、それを詠んでいったんだったね。
これを大成させたのが蕪村だったわけだ。
川柳は「前句付け」から
俳句と同じように、川柳も連歌から分岐したもの。
連歌は発句に続いて下の句をどんどんつなげていくけど、先に下の句(七七)を用意して誰が一番良い上の句を作れるか、という遊びが流行した(前句付け)。
この「前句」が独立してできたのが川柳だ。
この前句の独立に貢献したのが柄井川柳というわけだ。
柄井川柳についてはのちの記事で詳しく解説するよ。
まとめ
川柳と俳句との違いは、分岐の仕方だ、ということがわかったね。
次回はその違いについて見ていくよ。