元禄時代には、これまでの俳句から派生して、新しい美意識を取り入れた『俳諧』というものが誕生する。
俳諧はのちに私らがよく知ってる『俳句』へとさらに進化していくことになるんだ。
俳諧ってなに?
俳諧の本来の意味は「滑稽」とか、「戯れ」といった意味がある。
「俳諧」というのは、連歌、俳句、連句の総称。
・・・って逆に分かりにくくなったわ!
というわけで、詳しく説明していくね。
連歌(れんが)は、もともと鎌倉時代あたりから盛んになった「詩」の一種。
短歌がベースになっていて、五七五・七七を延々と繰り返していく、というものだ。
江戸時代ごろになってくると、連歌は俳諧(はいかい)連歌というものに派生する。
これは、連歌を面白おかしく、親しみやすくしたもの。
更にこれが進化して、五七五で作られる俳句が生まれる。
一方で、昔からずっと続いてきた連歌は「連句」として続いていった。
これらを総称して、『俳諧』と呼ぶんだ。
談林派と蕉風
江戸時代の俳諧界は、元禄時代で大きく変化した。
江戸時代初期までは、貞門派という流派が主流だった。
しかしこれを大きく塗り替えたのが、西山宗因という人が盛り上げた「談林派」と呼ばれるもの。
これは、貞門派よりももっと自由に、もっとありふれた言葉で俳諧連歌を作るというもので、これが上方の町人たちに大流行する。
こうして俳諧連歌は10年間くらい盛んになるんだけど、ここで俳句界のレジェンドが降臨する。
そう、松尾芭蕉だ。
芭蕉は、「蕉風」と呼ばれる作風をおこした。
芭蕉は俳諧連歌のようにただ面白おかしいだけではなくて、句の中に自然への思い・人生への思いを込めて芸術的な域にまでもっていった。
こうして芸術として大成された蕉風の俳諧は、明治時代になると正岡子規らによって「俳句」という新しい芸術が生まれる。
まとめ
奥が深い俳諧の歴史、理解できたかな?
最初は面白おかしくてただ楽しいだけだった俳諧が、松尾芭蕉の手によって芸術に代わり、それが後世では俳句になっていく。
松尾芭蕉は、現代で親しまれている俳句の源流を生み出した人なんだ。