明治時代

廃藩置県をわかりやすく!語呂合わせはイワナイ!

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廃藩置県のわかりやすい語呂合わせを教えてあげよう。

「藩とはイワナイ!(1871)県と言う!」だ。これほど素晴らしい語呂合わせがあっただろうか。と言うくらい覚えやすいよね。

前回は版籍奉還の失敗についてやったよ。結局、藩主がそのまま知藩事やっちゃってから、全然体制変わらなかったの。

そこで登場するのが、廃藩置県ね!藩とはイワナイよ!!

廃藩置県とは

藩はおしまい!これからは府と県な!もう決めたから!!

 

というのが廃藩置県だね。藩はおしまいにして、代わりに府と県にしましょうってこと。

廃藩置県をするにあたって新政府は武力をめちゃくちゃ強化したから、逆らうものはやっつける!くらいの不退転の覚悟で断行したわけだね。

 

中心的な人物は、西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通だね。

薩摩と長州と土佐はまず、3つの藩の兵を東京に集めて御親兵を作るの。

決行は1871年7月17日。

すべての知藩事を東京に集めて、

「お前らクビな!明日から、東京に住めよ!!さからったら・・・やっちゃうからな!」

として、代わりに、新政府から送った人材を府知事・県令として務めさせるのね。

府知事や県令は、基本的にはその藩に全然ゆかりの無い人物を登用させる方針だったのね。県令は1866年に県知事に名前が変わるよ。(最初から府知事と揃えとけや!!)

 

最初は、今までの藩をそのまま府と県に変えただけだったから、

3府302県もあったよ。

3府72県

3府43県 1888年

実際は、旧藩の借金を政府が引き継いでくれるということだったから、知藩事の中には喜んで廃藩置県を受けたものもいたらしいよ。

江戸中期以降は藩の財政ってのはなかなかうまくいっていなくて、高利貸しにお金借りてる藩主もたくさんいたんだよね。

 

 

大区小区制

廃藩置県の後には戸籍法というのが出されて、明治政府はすべての国民の把握しようとしてたのね。

で、それをやりやすくするために、町村を新しく作った大区と小区にして、府県のもとに設置したの。

まぁ管理をわかりやすくするためにだね。

府県 → 大区・小区

区長とか戸長なんかも作って管理してたんだけど、住民からは不満がたらたらで1878年の郡区町村編制方で廃止になったよ。

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