第一次護憲運動で桂園時代も終わるんだけど、この運動を成し遂げたのが民衆のデモ!
しかも天皇の私的要素と公的要素を別にするべきだ!という近代国家の原理に基づいたデモだったんだ。
もちろん国民にそんな感情があったのかはわからないけれど、少なくとも
「閥族打破(ばつぞくだは)」「憲政擁護(けんせいようご)」(あとで詳しくやるよ)
というスローガンにはそんな意味があったはず!
それじゃあ、これから政治的な発展を見ていこう!!
第一次護憲運動の原因
1912年の2個師団増設問題(ここでやったよ)で解散した西園寺内閣(第2次)の後に発足したのは、
桂(かつら)内閣(第3次)!!
桂→西園寺→桂→西園寺→桂
の交互ね!これは桂園時代(ここでやったよ)といったね。
でもある問題があったんだ。
桂太郎(かつらたろう)はこのとき宮中に属していたんだ。
それが内閣総理大臣になって府中にもどってきてしまった。
これは宮中・府中の別(きゅうちゅうふちゅうのべつ)に反するじゃないか!
宮中・府中の別というのは、天皇の私的な部分を宮中、天皇の公的な任務・業務を府中として別けようよ!というもの。
天皇の私的な部分に仕えていた人間が府中に戻ってくることは、近代国家として認められない!
これが原因で桂内閣に対して反対運動を起こすよ。
これが
第1次護憲運動(だいいちじごけんうんどう)!!!
年号は1912年だよ!
第一次護憲運動の内容―中心人物とスローガン
第一次護憲運動の中心人物は
尾崎行雄(おざきゆきお)と
犬養毅(いぬかいつよし)!!!
尾崎行雄が立憲政友会(りっけんせいゆうかい)!
犬養毅が立憲国民党(りっけんこくみんとう)!
スローガンは
「閥族打破(ばつぞくだは)」「憲政擁護(けんせいようご)」ね!!
閥族は集団のこと。藩とか軍とかの力をもったグループが、国民がつくっていくべき政府を邪魔しているんだ!
だから、そういったグループをなくそう!
これが「閥族打破」。
「憲政擁護」は憲法の内容をちゃんと守れ!というもの。
桂太朗は別に憲法違反をしてはいないけれど、憲法の精神に反するじゃないか!といっているんだ。
尾崎行雄はこのスローガンをもとに演説をしたりして国民に訴えるよ。
尾崎行雄は憲政の神様と呼ばれた人なんだけど、尾崎行雄について詳しく知りたい人は、『尾崎行雄は憲政の神様と呼ばれた護憲運動を推進した人物。』の記事を読んでね。
そして、憲政擁護大会という政治集会が各地で開かれる。
けっきょく民衆のデモに国会が包囲されて、1913年、桂内閣は解散する。
たった53日間で桂太郎は退陣したんだ。
これを
大正政変(たいしょうせいへん)
というよ。
第二次護憲運動について詳しく知りたい人は『第二次護憲運動とは?わかりやすく 加藤高明内閣』の記事を読んでね。