太平洋戦争が進むにつれて、日本がどんどん劣勢に追い込まれていく様子はこれまで見てきたよね。
ミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いで、日本の兵が大きく失われることになった。つまり、兵力不足になってしまったんだ。
日本が戦争を続けるためには、当然兵士を増員しないといけないよね。
でも、もうすでに社会に出ている成人男性の多くは、いわゆる「赤紙」で徴兵されていた。
この状態でさらに兵を増やすために国がとった行動は・・・。
「大学生を徴兵する」「中高生や女性を強制的に働かせる」、というものだった。
学徒出陣とは?
学徒出陣とは、「文系の大学生の徴兵猶予を撤廃し、徴兵して戦争に参加させる」というもの。
太平洋戦争序盤~中盤にかけては、旧制大学(現在でいう大学院)・旧制高等学校(現在でいう大学)・旧制専門学校の生徒は、「卒業するまで徴兵されない(徴兵猶予という)」ルールがあった。
だけど戦争が終盤に差し掛かると、兵士が足りないという理由でほとんどの文系学生と一部の理系学生(農学系の学生)が猶予撤廃されてしまった。
逆に徴兵猶予が撤廃されなかったのは、教員になるための学部にいた文系学生と、理工系の学生。
なんでこんな差が生まれてしまったのか。
政府は、「文系の学生が勉強している内容って、戦争に関係ね~じゃん!だったら兵士として戦ってもらおう。」と考えたんだ。
一方の理工学系の学生や教育学部の学生については、「理系の学生は兵器開発や製造に必要だから引き続き勉強してほしいし、先生も国民教育に必要だから残ってもらおう」と考えていた。
とまあこんな身勝手な理由で、ものすごく優秀な文系学生があちこちから徴兵されるようになってしまった。
勤労動員(学徒動員)は学徒出陣とは違う
似たような言葉で、勤労動員(学徒動員)というものがある。
ごっちゃになりやすいんだけど、この勤労動員の方は「中高生・女性に裏方仕事をさせて、戦争に参加させる」というもの。
違いとしては、「大学生だけではなく、中学生・高校生や女性も対象」であること、「兵士として直接戦闘にはいかないこと」が挙げられる。
じゃあ何をさせてたのか。
中高生は、原則全員が何らかの工場に配属されるようになったり、女性も未婚の人は「女子挺身(ていしん)隊」として工場に配属になった。
女子挺身隊は戦争末期になると全女性が工場に配属となってしまう。
こんな感じで、兵士不足は学徒出陣で・工場の人員不足はまだ幼い学生や女性などを強引に働かせることで補おうとした。
今の平和な世の中から考えたら、中学生や高校生や女性を(間接的にとはいっても)戦争に参加させるなんて正気じゃないと思えるけど。
こんなことを本気でやってしまうほど当時の軍部や政府は追い詰められていたし、狂っていたとも言えるね。
ちなみに、学徒出陣・勤労動員の最もひどいカタチが、「沖縄戦」で登場する。
沖縄戦については、次回詳しく見ていこう。