学生運動、というのを聞いたことがあるかな?
おおまかに学生、主に大学生が不満があることに対して起こした抗議運動のことを指す言葉だ。
ただ、戦後の日本で起きた学生運動ってのは、もっと過激で規模の大きな運動だった。
最初は大学生が「大学への不満」を抗議してただけだったのが、だんだん大学と関係ない「政治」についても抗議し始めて挙句テロリスト集団まで生み出すことにもなる。
学生運動の発端
戦後の学生運動は、東京大学の医学部生が「まだ医者にもなってない俺たちを、インターンとか言ってこき使う制度が許せん!」と抗議活動をしたことから始まる。
で、この「不満に抗議する」っていう姿に感銘を受けた学生たちが、東大だけじゃなくいろんな大学で抗議活動をするようになる。
そして学生運動をしている学生が集まった全学共闘会議(全共闘)って組織ができる。
この全共闘ってのが曲者だった。
全共闘の中には過激な左翼思想の人もいて、こういった人たちが学生たちを焚きつけて大規模な暴動を起こして行くことになる。
左翼とか右翼って言葉が難しいのでちょっと補足。
簡単にすると、
左翼っていうのは「(過激なやり方も含めて)資本主義の不平等な社会を変えようと考える人」のこと。革新派ともいう。具体的には共産主義・社会主義の人達を指す。
逆に右翼は「資本主義を主張している人」のこと。保守派、ともいう。資本主義者を指す。
学生運動と安保闘争
学生運動は時間が経つにつれてだんだん大規模で暴力的になっていった。
というのも、なんかこのとき「学生運動することはカッコイイ」とか「学生運動は頭のいい学生がやること」とかいう風潮が学生全体に広まっていたんだってね。
一部の学生は別として、多くの学生は「なんかみんなやってる」とか「なんかカッコイイ」みたいなフワフワした理由で学生運動をしている人ばかりだった、という。
ただ“一部の学生”には、学生運動にかこつけて暴力をふるいたいだけの人もいれば、政治の問題とかにも干渉して暴動を起こす連中もいた。
特にそれが過激になったのが、日米安全保障条約の改正のとき。
(日米安全保障条約についてはここからhttps://jahistory.com/anpo/)
当時の野党だった日本社会党は、安保改正の議論中「日米安全保障条約は日本を戦争に巻き込むかもしれない!こんな条約は破棄するべきだ!」と言っていた。
でも与党はこの案を通したかったから、議席数の差で無理やり条約を通してしまう。
これを機に政治家から会社員から学生から、ものすごい数の民衆が「安保改正反対」デモを行った。
で、ここに東大生など多数の学生が一緒になって暴動を起こしていたわけだ。
暴動を抑えようとする警察との間で激しいもみ合い・殴り合いが起きて、大学生が死亡したり負傷したりする事件が起きた。
安保闘争のあと
安保闘争のあとも、学生の一部はさらに暴力的になっていったんだけど、この頃にはもう大半の学生が「冷めていた」。
「なんか過激すぎじゃない?学生運動って・・・。ちょっと引くわ~」という人が多くなったんだ。
加えて、当初の学生運動の目的だった「大学の制度や待遇の改善」に大学側が乗り出したことで、もう学生運動の目的は達成されちゃったんだ。
戦う理由がなくなっていたわけだね。
こんな流れで学生運動は終息していくんだけど、ほんとにごくごく少数の過激な人たちは、暴動だけじゃなくテロを起こすまでに発展してしまう。
今では考えられないよね。学生が不満を解決するために暴動おこすなんてさ。
それだけ今の学生は「賢くなった、大人になった」のかもしれないし、「冷めている」のかもしれないね。
いや、暴力は絶対ダメだけどね!