さて、いよいよ古墳時代(飛鳥時代)を抜けて、奈良時代へと入っていくよ。
奈良時代(710~794)は“律令制”が発展した時代としてももちろん重要だけど、
何より仏教が日本に入ってきて、それが花開いた時代だってことがポイントだよね。
仏教の影響は政治なら「鎮護国家思想」に、文化なら「大仏・寺院」と様々。
(小難しい言葉がちょくちょく出てくるけど、しっかり解説していくから安心してね。)
で今回は、奈良時代を語るうえでは外せない人物を一人、見ていくよ。
その名も「藤原不比等(ふじわらのふひと)」だ。
藤原氏とは?
藤原氏(うじ)は、“氏”とついてることからわかる通り名門家系。
ただ、今までの古墳時代で「藤原」なんて名門家系は出てきてなかったよね。
実は藤原っていう名はある人物が天智天皇にもらった氏で、もともとは「中臣氏」だった。
察しのいい人はもう気づいてるかもしれないね。
このある人ってのは中臣鎌足だ。
中臣鎌足は天智天皇に新しい氏をもらって藤原鎌足になった。
鎌足が藤原氏の祖となったわけね。
で、鎌足の子である不比等(ふひと)が藤原の名を継いだことで「藤原氏」が誕生したってワケ。
藤原不比等って何者?
不比等ってなんだかすごくツワモノ感ある名前だよね・・・(笑)。
実際、不比等はかなり“「デキる」人だった。
初めは下っ端から
不比等は鎌足を父に持ってるからずっとお偉いさんだった・・・と思いきや全然そんなことはなかった。
父・鎌足が死んだあと、不比等はまだ幼かったせいで大人たちの権力闘争に混ざることができず、下っ端官僚として使えるところからのスタートだったんだ。
しかし不比等は、草壁皇子という皇子の元で仕えるようになったあたりからジワジワと天皇家との関係を築いていく。
後に、草壁皇子の子である軽皇子を文武天皇に押し上げたことが功績として認められて、政治的な権力を持ち始める。
まあこれだけ見ても下級官僚から上り詰めたすごい人ではあるんだけど、不比等はここで止まらなかった。
外戚関係の構築
外戚関係、ってのは古代の日本を見ていくうえで物凄く大切な仕組みだよね。
多分学校で何度もやっていると思うんだけど、改めておさらい。
「外戚」という言葉の意味は、天皇の母方の一族。
で、慣例的に外戚の中で一番権力を持ったのは外祖父。
分かりやすく見てみよう。
自分が外戚になるための3ステップ
- 自分の娘を天皇と結婚させる
- 天皇と娘の間に子供をつくらせる
- 生まれた子を皇子とする
これで、皇子の母方のおじいちゃん(外祖父)になった人物は絶大な権力を得る・・・という仕組み。
不比等の例でいくとこうだ。
不比等は、この外戚関係を利用して政治的な権力を強める、という手法をとった。
当時のしきたりをうまい事使って権力を手に入れたわけだね、不比等は。
実に賢い。
この外戚関係は後の藤原良房に始まる「摂関政治」の基礎にもなってくる。
藤原氏が平安時代にものすごく栄えたきっかけを作った一人は不比等なんだね。
これが不比等の功績ともいえる。