鎌倉時代中期以降、御家人の生活はどんどん貧しくなってきていたんだ。
その背景には、所領の細分化と貨幣経済の浸透について行けなかったことがあるんだ。
このように貧しくなった御家人を助けるために出されたのが、
今回説明する永仁の徳政令。
じゃあ早速永仁の徳政令について説明するよ。
永仁の徳政令が出された背景
まず、永仁の徳政令が出された背景について説明するよ。
永仁の徳政令が出された目的は、窮乏した御家人を救済することだったんだ。
御家人が窮乏した理由は冒頭でも述べたけれど、
①所領の細分化、②貨幣経済の浸透についていけなかったの2点が大きな理由とされているよ。
①について、
鎌倉時代の中期以降、戦いが無くなり、所領の増加が無いところに分割相続が代を重ねるようになってしまった。
この分割相続により、御家人の所領は細分化され、収入が減ってしまったと言うわけなんだ。
この分割相続によって、兄弟の共倒れを防ぐために単独相続がなされるようになったけれど、
単独相続が広まるまでに多数の貧しい御家人が生まれてしまったんだ。
次に②について、
御家人は長い間、在地の生産物に経済的な基盤を置いてきたんだ。
そのため各地に急速に浸透していった貨幣経済に対処しきれなくなってしまったんだ。
その結果、御家人は大事な所領を質に入れたり、売却したりするようになり、困窮してしまったんだ。
この①、②を受けて、
1240年に幕府は御家人の所領保護のために、御家人領の売却を禁じるんだ。
その後、1267年には所領の質流れを禁止して、すでに売却したり質流れになった分の所領については、
代金を代償し、取り戻させることにしたんだ。
しかし、このような策を講じても、御家人の生活は好転せず、
所領を失う御家人が増えていく一方だったんだ。
そこで、幕府は1297年に永仁の徳政令を出すことにしたんだ。
じゃあ、次で永仁の徳政令の内容を説明するよ。
永仁の徳政令の内容
永仁の徳政令は、1297年に御家人救済を目的として、執権・北条貞時が発した徳政令のことなんだ。
この永仁の徳政令の内容は、
・越訴禁止
・御家人所領の売買・質入れの禁止
・質入地・売却地の無償返還
・金銭貸借の訴訟の不受理
などを定めたものだったんだ。
この徳政令を定めたことで、御家人の窮乏を食い止められると幕府は考えたんだ。
しかし、この徳政令を定めても、御家人の窮乏を食い止めることは出来ず、
所領の処分を望む者、窮状を訴えて善処を求めるものは後を絶たず、
結局翌年の1298年には質入地・売却地の無償返還を除いて、永仁の徳政令を撤回することとなったんだ。
永仁の徳政令の語呂合わせ
永仁の徳政令は1297年に発令されたね。
じゃあ最後に、永仁の徳政令の語呂合わせを紹介するよ。
皮肉な(1297)結果の徳政令