今回は永享の乱について説明するよ。
永享の乱とは、簡単にいうと、足利持氏と上杉憲実との関係悪化によって起こった乱なんだ。
永享の乱とは?
まず今回は永享の乱がおこるきっかけから説明していくよ。
永享の乱のきっかけは、
幕府に反抗的な鎌倉公方・足利持氏と、持氏を諫める関東管領・上杉憲実との関係が悪化したことなんだ。
関東管領というのは鎌倉公方の補佐役である執事の事だったね。
つまり、執事の仕える主人と執事の仲が悪くなってしまったということだね。
そして、1438年、ついに足利持氏は上杉憲実を攻めたんだ。
そこで、将軍・足利義教は、憲実を支援するために持氏追討軍を関東に送るんだ。
足利義教は幕府における将軍権力の強化をねらっていて、そのため将軍に服従しないものをすべて力で抑えようとしたことから、
幕府からの自立意識が強かった鎌倉府との関係が悪化していたみたいなんだ。
そこで、持氏追討軍を送ったんだよ。
そして次の年の1439年、持氏が鎌倉の永安寺で自害することにより、永享の乱は終結したんだ。
永享の乱の終結後は、関東では関東管領の上杉氏が実権を握るようになったよ。
また、上杉憲実は1439年に円覚寺の僧である快元を庠主として招き、足利学校を再興したんだ。
永享の乱の語呂合わせを紹介!
じゃあ、永享の乱について説明したところで、次は語呂合わせを紹介するよ。
人の世裂く(1439) 永享の乱
同じころに上杉禅秀の乱や嘉吉の変があるから、ごちゃまぜにならないように覚えてほしい。
年号を覚えていれば並べ替えの時に迷わないよ。