前回までで、庶民の抗議活動について様々な話をしてきたね。
百姓一揆、打ちこわし、村方騒動・・・。それぞれの目的や違いをしっかりイメージできるかな?
もし不安なところがあったら、確認しておこう。
さて、今回は江戸の打ちこわしについて。歴史上名を残すことになった大きな打ちこわしについて見ていくよ。
享保の打ちこわしは「飢饉」の影響
江戸での打ちこわしは、「享保の大飢饉」「天明の大飢饉」の際に発生した。
打ちこわしの理由は以前話した通り米価の急激な上昇。
江戸の庶民たちは、この米価上昇の背景が「金持ちたちの米買い占め」であると考えたことから、不満が爆発。
享保の大飢饉のときは、米問屋であった高間伝兵衛の邸宅がなんと1700人もの庶民に襲われ、家財道具や米俵が川に投げ入れられてしまった。
しかしこれは誤解で、高間伝兵衛はむしろ米価の安定させようとしていたんだ。
これを受けて伝兵衛は自分の持っていた米を市場に放出し米価を安定させるべく更なる貢献をした。
聖人だね。
天明の大飢饉から天明の打ちこわしが起こった!
今回は、これまでの記事で説明してきた内容がいろいろ繋がってくるよ。
江戸時代最大と言われる大飢饉・天明の大飢饉が発生し、大凶作となった。
全国的に米の流通量が減り、食糧不足が深刻となった。
加えて当時は田沼意次の「重商主義政策」の真っただ中。この影響で銭相場が高騰していたこと、さらには商人が米を放出したがらなかった。
これにより、江戸時代の中でも類を見ないほど米の価格が上昇。
そして引き起こされたのが、天明の打ちこわし。
天明の打ちこわしは江戸だけでなく全国的に行われたけど、とりわけ江戸市内の打ちこわしがひどかった。
町奉行(江戸の警察のようなもの)が対処できないほど激しい打ちこわしとなった。
この影響で、「打ちこわしが起きたのは田沼意次の政治が悪い」と批判を浴び意次が失脚。
また幕府が庶民の暴動を抑えきれなかったことで幕府の権威が低下した。
まとめ
将軍のお膝元ともいわれる江戸でこれだけ大規模な打ちこわしが発生してしまうのは非常に重大な問題だった。
これによって今後解説していく「松平定信政権」が発足するんだけど、幕府の権威の低下は止められなかった。