江戸時代の飢饉まとめ。江戸最大の飢饉は天明の飢饉?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

さて。今回からすこし歴史の本流から外れて、「江戸時代の飢饉」について見ていこうと思う。

 

江戸時代において、飢饉というのは人々に生活から幕府の財政まで、あらゆる点で大きな負の影響をもたらす大問題だった。

天災だけに、人の力でどうにもできない点もあるから厄介だった。

 

今回は江戸時代の「江戸四大飢饉」と呼ばれる飢饉をダイジェストで紹介していこうと思う。

 

江戸の四大飢饉

 

寛永の大飢饉

寛永の大飢饉は、三代将軍・徳川家光の時代に起こった大飢饉。被害は全国的で、特に東日本・日本海側のダメージが大きかった。

 

原因は、度重なる大雨や洪水、旱魃(水不足)、霜や虫の被害など異常気象がすべて集中してしまったこと。

 

享保の大飢饉

享保の大飢饉は、八代将軍・徳川吉宗の時代に起きた。

これは中国地方・四国地方・九州地方など西日本のあちこちが被害を受けた。

特に瀬戸内海の被害がひどかったという。

 

原因は、「冷夏(夏の気温が低く、農作物が不作になる)」と害虫被害。

 

天明の大飢饉

天明の大飢饉は十代将軍・徳川家治の時代に起こった。

これは江戸の飢饉の中で最大規模だったといわれていて、全国各地(特に東北地方)が悲惨な被害を受けた。

 

原因もスケールがでかい。浅間山が噴火したこと、さらにはアイスランドの火山が噴火したことによるエルニーニョ現象が引き起こした冷害。

 

これについては次回以降詳しく説明するけど、全国で餓死者が数万人でたという。

 

天保の大飢饉

江戸の大飢饉としては最後の飢饉。当時の将軍は十一代将軍・徳川家斉と十二代・徳川家慶で、二つの将軍にまたがって起きた。

 

これも全国規模の飢饉で、特に東北の被害が大きかった。

 

原因は大雨や洪水、それから冷夏。

記録には、稲刈りの時期(9月下旬ごろ)に雪が降ったなんてものもあるんだ。凄まじいよね。

まとめ

江戸四大飢饉は、全国の農村に多大なる損害・被害を出した。

飢饉に年貢の徴収が重なることで農民たちは自分たちが食べる米すら確保できないときもあったという。

 

次回からは、これら大飢饉それぞれが幕府に与えた影響なんかを見ていくよ。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

オススメの動画コンテンツ

低料金で最大の効果を発揮するコンテンツ

・音情報で理解を高めたい
・知識を入れながら、流れも理解したい
・息抜きに動画で学習したい

方はスタディサプリの動画コンテンツがオススメです。【14日間の無料トライアル】ができます。

スタディサプリの無料体験

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*