前々回の記事で、ノモンハン事件を見てきたよね。
満州とソ連・モンゴルの国境を巡ってドンパチやった戦闘だった。
そんなノモンハン事件の裏では、ドイツとソ連がコソコソ近づいて話し合いが行われていて、突如として「独ソ不可侵条約」という条約がドイツとソ連の間で結ばれた。
これ、世界的に見ても日本から見ても、めちゃくちゃ重大な条約なんだ。
詳しく見ていこう。
独ソ不可侵条約の目的って?
これまでの記事を全部読んでくれている人や、戦前の歴史の勉強をしている人は「はぁ?」と思えるはず。
そもそもドイツとソ連って、そんなに仲良しじゃなかったよね?
むしろ日本と日独防共協定を結んだりして、社会主義国であるソ連を敵視してたよね。
そんなドイツが突然、ソ連と不可侵条約(お互いに侵略しませんよという条約)を結んじゃったわけだ。
なぜなのか。もちろん理由がある。
ドイツ側の思惑
まずドイツがこの独ソ不可侵条約を結ぼうと思ったきっかけについて。
当時のドイツは、領土を広げるべくお隣ポーランドに攻め入ろうとしていたんだけど、どうしても踏み切れない事情があった。
世界史的な話になっちゃうんだけど、ドイツって国は西側にイギリス・フランス、東側にソ連があるその中間に位置している。
で困ったことに、ドイツにとってイギリスとフランスは当時めちゃくちゃ仲が悪く敵状態で、ソ連も敵だった。
さて。もしこの状態のままドイツがポーランドに攻め入ったらどうなるか。
ドイツが領土を広げることを良しとしないイギリスやフランスがドイツを攻撃してくることが考えられるよね。イギリス、フランスはドイツのすぐ西にあるしね。
それだけじゃなく、ソ連も混乱に乗じて東側からドイツに攻めてくる可能性が考えられる。
すると、どうだろう。
ドイツが西側・東側両方から攻められて挟み撃ち状態になっちゃうよね。ドイツ的にこの状況はどうしても避けたかった。
さすがに強敵どちらとも戦うのは無理だからね。
そこで、イギリスやフランスと比べて不可侵条約を結んでくれそうなソ連に話を持ち掛けるわけだ。
ソ連側の思惑
ソ連にもドイツと不可侵条約を結びたかった理由がある。しかもドイツとおんなじ理由。
ソ連としても、隣国のドイツは脅威だった。戦争になってもおかしくはないな~と常々考えていた。
しかし一方で、東側にも脅威があった。
そう、日本だ。
ちょうどこのころノモンハン事件で日本と戦っていて、ソ連側もかなりの戦死者を出していた。
もしこのタイミングでドイツからも攻撃を仕掛けられたら、挟み撃ちにされてしまうわけだ。
ソ連としてもドイツ、日本2国を相手にするのは避けたかった。
その矢先、ドイツがソ連に対して不可侵条約を持ち掛けてきた。
ここまで見ると、なぜドイツとソ連が不可侵条約を結んだか理解できるね。
不可侵条約はお互いにとってWIN-WINだったわけだ。
日本は驚きのあまり内閣総辞職
この不可侵条約は世界中に衝撃を与えた。
なぜかって、どう考えてもファシズムなドイツと社会主義なソ連が仲良くするなんてあり得ないと思っていたから。
相反する考えをしている人たちがまさか握手するなんて、だーれも想像してなかったわけだ。
でも世界の中で一番驚いたのは・・・日本なんだよね。
日独防共協定って協定を日本とドイツが結んでいたのを覚えてる?
あれ、ソ連発祥の共産主義、社会主義を抑え込もうぜって協定だったよね。さらに言えば、ヒミツの協定で「ソ連が攻めてきたら一緒に対抗しようね」とか約束してた。
仲良しだと思ってたドイツが突然敵であるソ連とくっついたのを見てショックを受けないはずがないよね(笑)。
日本政府はこのドイツのキョロ充っぷりに驚き呆れ、時の総理大臣だった平沼騏一郎は「欧州情勢は複雑怪奇ィ!」と叫んで内閣総辞職する混乱ぶり。
独ソ不可侵条約の「ヒミツ」
ところで、独ソ不可侵条約には日独防共協定みたいに「ヒミツの」条約が隠されていた。
その内容は、
- ポーランドをソ連とドイツで半分こしましょ!
- バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)はソ連が持っていくわ!
というもの。
とんでもない取り決めだよねこれ。
ソ連的には、こういった“旨み”があるから不可侵条約締結に動いたって面もあるね。
独ソ不可侵条約のその後
独ソ不可侵条約の締結によって、ドイツはポーランド侵攻で不安だった「挟み撃ち」の危険性がなくなった。
というわけで早速ポーランドに攻め入る。
そうしたら、不可侵条約の「ヒミツの取り決め」通りソ連もポーランドに攻め入る。
この動きを見てイギリスとフランスはドイツに対して宣戦布告。
ここに第二次世界大戦がはじまる。
独ソ不可侵条約は、第二次世界大戦のトリガーになってしまったわけだ。