人物シリーズだ。
寺内正毅内閣は陸軍出身という事もあり、大正デモクラシー真っ只中の世論はビリケン(非立憲内閣)と批判したんだったよね。
寺内正毅と歌手の宇多田ヒカルは親戚関係ってのもビックリだ。
その寺内正毅内閣の時に行った西原借款についてちょっと今日は掘り下げてみたい。
そして西原借款を行った時の北京政府の実権を握っていたのが、段祺瑞だというのも頭に入れておこう。
段祺瑞(だんきずい)とは?
大学受験の日本史で考えるのだれば、
孫文 → 袁世凱 → 段祺瑞
この流れは要チェックだね。
1911年の辛亥革命も年号を覚えておけば、流れが一目瞭然なんじゃないかな。
入試で点を取ろうと思えば上の流れと、寺内正毅内閣の西原借款の時は段祺瑞という事はちゃんと覚えておいてほしい。
西原借款は総額1億4,500万円にのぼって、その多くは中国での特殊利益につながり政治的借款だったので
日本だけでなく外国でも大きな政治問題になったんだよ。
だって、自分たちの利権のために他国にお金を貸しまくって実権を握ろうとしてたら面白くないじゃない。
結局、段祺瑞はその後没落してしまうので、貸したお金は返ってこなかったんだよ。