太平洋戦争を始めた日本はそのかたわら、アジアの国々に対しても働きかけをしていく。
当時アジアは、欧米諸国の植民地となっている場所が多かった。
言い方は悪いかもしれないけど、食い物にされていたって感じ。
そんな状況にあるアジア諸国に対して、日本はある標語を打ち出していった。
それが、「大東亜共栄圏」だ。
詳しく見ていこう。
「日本を中心として、新しいアジアを作らないか?」
日本がアジア諸国に打ち出したスローガン「大東亜共栄圏」ってのは、表向きこういう意味があった。
「今や中国、東南アジアは欧米諸国の支配の下にある!それでいいのか?否!断じて否!
中国や東南アジア諸国は独立するべきなのだ!
そして、大日本帝国を中心とした、アジア全体が一緒に繁栄していけるような、新しい“共栄圏”を作ろうじゃないか!」
まあこの表向きの文面だけ見れば、「おっ、日本良いこと言ってる?」と思えるけど・・・。
お察しの通り、これには日本の真の目的が隠されている。
「大東亜共栄圏」の真の目的
太平洋戦争が始まった最初の戦闘ってなんだったか覚えてる?
マレー作戦だったよね。
イギリス領マレー、そしてお隣のシンガポールを日本軍が攻めて、占領した。
これ、単純に事実だけ見るとマレーとシンガポールを支配している人がイギリスから日本に代わっただけだよね。
東南アジアが強い国に支配されていることに変わりないわけ。
支配される東南アジア側からしたら、当然納得いかないから反抗しようとする。
日本はその怒りをいなすように、「大東亜共栄圏」を打ち出して“日本を中心とした新しい世界つくろうぜ”とか言い出したんだ。
要するに、日本はアジアや中国を侵略することを「正当化」しようとしていたんだ。
ケガの功名的な側面
日本はマレーやシンガポールの占領、またそのあとフィリピン占領とかもしたりしたんで、結論から言うと日本は東南アジアに侵略していた。
ただ、日本による東南アジア侵略は全部悪い影響ばかりではなかった。
日本が東南アジアに侵略したことで、“欧米の支配”からは解放することに成功した。
長いこと続いてきた、「欧米がアジアを植民地化する」という風潮に日本が一石を投じたカタチになったわけだ。
これを機に、東南アジア諸国には「独立する」という気持ちが芽生え始めた。
後に太平洋戦争が日本の敗北で終わった後、欧米諸国はふたたび東南アジアを植民地として取り戻そうとするんだけど、「独立」という希望を持った東南アジアは激しく抵抗して、植民地化を脱出していく動きが生まれる。
専門家の間では、日本の東南アジア侵略によって、アジアの「脱植民地化」の動きが生まれた、と考えている人が多いそうだ。