前回は、百姓一揆の概要について見てきたね。
百姓一揆にはいくつか種類があったのを覚えてる?
- 代表越訴型一揆
- 惣百姓一揆
- 世直し一揆
この三つだったね。
今回はこの中から、代表越訴型一揆について見ていくよ。
代表越訴型一揆には犠牲となるリーダーが必要!?
前回もちょっと触れたけど、一揆というのは罪なんだ。
だから、百姓たちが将軍に強引に訴えに行って、その訴え認められたとしても、一揆を主導した人物は見せしめとして死刑になった人もいた。
といっても、将軍や幕府に「個人が」直接訴えかけること自体は正規の手段を使ってなくても罪に問われないことがほとんどだった。
せいぜい厳重注意くらい。
問題とされたのは、一揆みたいに何人もの人が集まって、「実力行使」で訴えを無理に通そうとする場合。
これは重大な罪とされて、主導者は極刑に処されることになった。
代表越訴型一揆は、村の訴えを一人または数人が手続きを無視して武力行使を含むやり方で訴えに行くこと。
これをやった人物は処刑される。
そこから、義民伝説が生まれていくんだ。
代表的な義民
代表越訴型一揆において代表的な義民(自身を犠牲にして将軍への直訴を成功させた人)として以下のような人物がいる。
- 下総国・佐倉藩の名主、佐倉惣五郎
- 磔茂左衛門
佐倉惣五郎は、領主であった堀田氏の重い税に苦しむ農民をみて越訴を決意。
直訴は聞き入れられ堀田氏は退けられたが、処刑される。
磔茂左衛門は、沼田藩主による数々の悪政を働き、これに対抗すべく一揆を行う。
その結果沼田藩主は改易されたけど、代わりに妻子もろとも死刑になった。
まとめ
代表越訴型一揆は、たとえ成功しても首謀した人物は死刑になってしまった。
代表越訴型一揆は命がけだったんだね。