昭和時代

ビキニ水爆実験の特徴と被害とは?第五福竜丸事件についても。

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“広島・長崎への原爆投下”ってのは日本にいればまあ間違いなく教わるし、とても強い印象を残す歴史だよね。

あまりに多すぎる人が亡くなったし、あまりにむごすぎた。

 

そのインパクトの強さから「日本は二回の原爆被害を受けたんだ」って覚えがちなんだけど、

実は「日本は厳密には2回じゃなくて3回原爆(水爆)被害を受けている」とも言われる。

 

で、この3回目って何かって言うと、アメリカの水爆実験に巻き込まれた第五福竜丸の船員が被曝した「第五福竜丸ふくりゅうまる事件」だ。

いったいどういう事件だったのか、詳しく見ていこう。

ビキニ環礁の水爆実験

 

アメリカは第二次世界大戦が終戦してからも、原爆の実験を繰り返していた。

それも地下核実験ではなくて、水上や島上で原爆を起爆させていた。

 

当然のごとく、放射能を帯びたモノが飛び散るわけで、生態系にえげつない悪影響を及ぼすわけだけど、

アメリカは核実験を何十回も行った。

 

というのも、この時期からソ連との冷戦構造が生まれ始めていたので、

お互いの技術力を競う形で核兵器の開発はどんどんエスカレートしてしまったんだ。(いわゆる軍拡競争

 

1952年には原爆を軽く超える水爆の実験をアメリカが初めて行い、成功させた。

(水爆は日本に落とされた原子爆弾とは爆発の仕組みが異なっていて、理論上は威力が無限になるらしい。)

 

ある実験では、水爆を設置した島が丸ごと吹き飛んだ上にクレーターが出来たとも。

もう、めちゃくちゃだよね。

 

そんな水爆実験の一つが、太平洋の真ん中あたりにあるビキニ環礁(サンゴ礁)で行われた。

 

いわゆるビキニ水爆実験だ。

 

ビキニ水爆実験で被曝した第五福竜丸

 

ビキニ環礁で行われた核実験は正式には「キャッスル作戦」と言われている。

この作戦では全部で6回の核実験が行われたんだけど、その一回目で事件は起きた。

 

1954年の3月1日、ビキニ環礁にてアメリカによる水爆実験が行われた。

その実験当時、第五福竜丸は事前にアメリカ側から通告されていた危険水域の外側で作業をしていたんだけど、

いざ爆発してみるとどうも爆発が近い。

 

船員は身の危険を感じて水域から離れようとしたんだけど、その間に放射性物質を帯びたモノが降ってきてしまった。

結果船員はみんな多くの放射線を浴びてしまうことになり、急性放射線障害を発症することになった。

 

ちなみに、第五福竜丸と同じように、アメリカから安全だと言われていた水域で活動していた漁船はみんな被曝した。

 

事件の原因とその後

 

第五福竜丸らの漁船は、実験当時確かにアメリカの言う安全水域にいたはずなのに、結果的には被曝することになってしまった。

気になるこの原因なんだけど、実はアメリカ側の「予測ミス」だった。

 

この実験で起爆させる水爆の威力をアメリカは過小評価してたわけね。

 

実際に実験で起爆した爆弾は実験前にアメリカが予測していた威力の倍以上あって、

その結果安全圏にいたはずの第五福竜丸にも放射性物質を帯びたモノが降ってきてしまったわけ。

 

 

まあどう考えてもアメリカ側の過失だよね、これ。

 

普通なら第五福竜丸の被曝した船員にアメリカ側が謝罪&賠償金を払う流れになる気がするけど、

ここではいわゆる日本・アメリカ両政府の「大人の事情」によって“もやっ”とする結末を迎える。

 

まず日本側の話だけど、

この当時はまだ第二次世界大戦のダメージから完全に立ち直れてはおらず、アメリカの力なくしては立ち行かない状態だったので穏便に決着付けようと思っていた。

 

対してアメリカ側は、この一件で日本が再びアメリカに反感を抱いてしまい、

最悪の場合その反米感情からアジアに広がる共産主義側に日本が傾いてしまう可能性も考えられ、これはヤバいと考えた。

 

そのため、アメリカ側もできるだけコトを大きくせず穏便に早期解決しようとした。

結果、アメリカ側が被害者側に多額の“見舞金”を払うことで手打ちにすることになった。

 

※アメリカは終戦後日本を占領していた立場としてのメンツもあって、“賠償金”というワードにはせず“見舞金”という言い方にした。おまけに被害者側への明確な謝罪はなし。

しかも第五福竜丸以外の被曝した船員には見舞金なしという・・・。

 

 

とまあこんな感じで第五福竜丸事件を終わらせようとしてたんだけど、そんな単純に終わる話でもなかった。

 

この一件が発端となって、日本国内では「核廃絶」を目指した運動が活発化することになった。

いわゆる原水爆禁止運動ってやつだね。

 

原水爆禁止運動に連動して原水爆禁止世界大会も開催されるようになり、これは形を変えつつ今でも残っている。

 

あと、この第五福竜丸事件をきっかけに怪獣映画で有名な『ゴジラ』が制作されたり、

芸術家の岡本太郎によって第五福竜丸事件をモチーフとした壁画が描かれたりした。

 

第五福竜丸事件によって核兵器への危機意識、核兵器廃絶への意識が高まったことは、不幸中の幸いと言えるかもしれないね。

 

 

 

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