明治時代

大同団結運動は星亨を中心した反政府統一運動!

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今日は大同団結運動だよ。

この大同団結運動と1887年の三大事件建白運動ってのは、違いが難しいからさ。

まずは、大同団結運動をやって、次に三大事件建白運動やるからさ。細かい違いってのをちゃんと理解して覚えようよ。

大同団結運動とは?

1886~1889年の反政府統一運動ね!

大同の意味がわかるとこの運動の意味がわかるよ。

大同=小異を捨てて、同じ目的のために多くの人が1つに集まること

を指すわけ。これで大体見えてきたんじゃないかな?

自由党は明治政府の取り締まりで解党しちゃって、立憲改進党も休止状態だったから、自由民権運動は下火になっちゃいそうだったのね。

そこで、星亨らは、

「自由党とか立憲改進党とかそんなの関係なくさ!みんなで明治政府に対抗しようよ!!」

ってことで、旧自由党員や立憲改進党員を集めて運動をしていくんだね。

だから大同団結運動!と呼ばれているわけなの。

 

ここで、1887年に三大事件建白運動ってのが起きて、

これに呼応するかのように後藤象二郎と星亨は民権派勢力をどんどん集めていくことになるんだね。

つまりこの大同団結運動ってのは三大事件建白運動によって、動きが活発になっていったわけ。だから紛らわしいのね。

 

結局、この大同団結運動は、明治政府が1888年に大隈重信を外相に抜擢して、入閣させたり、後藤象二郎を逓信相にしたことによって主要人物を運動から離れさせてさ。うまいよねー。大同団結運動は1889年に終わりを迎えることになるよ。

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