長州藩、良くやった。
俺は個人的には当時の長州藩を褒めてやりたいよ。外国人に好き勝手されて、開港されてさ。開かされたんだぜ?
恥ずかしい気持ちを我慢して、開かされた気持ちをグッと堪えてさ。黙っちゃいられねぇのが、長州よ。
ってことで、今日は長州藩外国船砲撃事件について見てみようよ。
なんで長州藩は外国船を砲撃したのか?
攘夷運動=別名:外国人うぜぇ運動
は、長州の下級武士を中心に盛り上がっていったわけだったよね。そんな長州藩だけどもイギリス公使館焼打ち事件なんかも起こしてるよね。
その翌年、文久3年5月10日は天皇からの朝命を受けて、下関の海峡を通るアメリカ・フランス・オランダの船を砲撃したわけ。
何度も流れを復習するけど、孝明天皇は日米修好通商条約に反対だったわけ。
だから勅許を与えなかったわけね。でも大老の井伊直弼は勝手に条約を結ぶ。で、反対してくる輩は弾圧する。そうゆう滅茶苦茶なことしたけ。
すると、どうだろう。江戸幕府に不満を持つ連中ってのは自然と出てくるよね。それが攘夷派につながっていくの。
孝明天皇もバリバリの攘夷派だから。
外国人なんて来るんじゃねぇよって腹よ。だから長州に命じてアメリカ・フランス・オランダの船を砲撃するわけね。
ここで興味深いのがさ。
江戸幕府はあらかじめ、諸外国に
「長州が攻撃するとか言ってますんで、気を付けてもらえませんか?」
ってご丁寧に通達してんのね。
だから、もちろん知ってたわけ。
オランダなんて、江戸時代からずっと仲良くしてたからまさか攻撃なんてされないだろうと、タカをくくって堂々と通るしね。
でも長州はやっちゃうわけよ~。
江戸幕府としては生麦事件や東禅寺事件、ヒュースケンの殺害やらの賠償金を支払っている途中だから、かなり勘弁してほしい内容だよね。
諸藩の大名にも、「長州が外国船攻撃するけど、絶対勝てないわ。賠償金とんでもないことになりそうだから。そこんとこよろしく!」
と攘夷決行の前日に通達しているね。
こういった背景があって、長州藩は外国船を攻撃するわけだよ。
実際は長州が外国船を攻撃したところで、損害を与えられるわけはないからさ。もう意地の域だよね。