長州藩は攘夷を決行して、外国船に砲撃したことは説明したね。
まぁもちろん外国からリベンジを食らうんだけども、それが四国艦隊下関砲撃事件だね。なげぇよ。別名:下関戦争だから、下関戦争で覚えていこうか。
この下関戦争で日本は負けるわけども実はこの戦争が長州藩に「ある考え」をもたらす結果になったんだよ。薩英戦争といい、下関戦争といい、外国と戦うと色んな考えが芽生えるんだね。
下関戦争について
イギリス
フランス
アメリカ
オランダ
がリベンジ!!これが下関戦争ね。1864年に英・仏・米・蘭の四国連合艦隊が下関を砲撃しまくった事件だね。
死者が意外にも少なくて、数人~数十人程度。
もちろん長州は勝てるわけないんだけど。
ここで覚えておくと、なかなか良いのがアメリカはちょうど南北戦争を繰り広げているわけ。だからアメリカの軍艦はほとんどアメリカにいる状態なんだよね。
南北戦争って世界史じゃねぇの?って思うかもしれなけど、なんどか過去問の問題で見たことあるよ。
結局、完敗した長州は賠償金を要求されるんだけども、たかだか1つの藩が4か国に賠償金を支払えるはずが、なく江戸幕府が300万ドルの支払いをすることになる。
300万ドルって言ったらどれくらいの価値か?ってピンとこないし、現代の金額に換算することはできないけど・・・一説によると江戸幕府の財政の4分の1にもなる金額だったとか。
長州はね、
「江戸幕府が朝廷に言われて、起こした攘夷です。江戸幕府がやれって言いました。僕は悪くありません。」
スタンスをしっかり取るの。ここいらが、江戸幕府の信頼が失墜してる表れだよね。
条約勅許
修好通商条約は江戸幕府が天皇の勅許を得ずに調印した条約だったよね。
でもさうがに、今回の下関戦争で英・仏・米・蘭の4か国が圧力をかけて孝明天皇は条約の勅許を認めざるを得なかったわけだ。でこれを条約勅許って言うよ。
孝明天皇は攘夷派で修好条約の時もかなりブチ切れてたみたいだから、今回は件はプライドがズタボロに傷ついただろうね。
あれほど、「勅許はやらん。江戸幕府ふざけんな」立場だったのに、
長州に攘夷やらせて、外国にボコボコにされた途端、正式に承認しちゃうわけだからね。
下関戦争は何をもたらしたか?
この下関戦争で、長州は実際に外国と戦ったわけだよね。
それで外国の強さを知ったわけ。
するとおもしろいことに攘夷の考えより、開国の考えにシフトしていくわけなのね。
薩英戦争の薩摩もあれだけ外国に対して怪訝だったのに、いざ戦ってみたらイギリスと仲良くなっちゃんだから。
もちろん長州だってすべての人間が攘夷だったわけじゃないし、下級武士を中心とした動きだったけども天皇に言われたとはいえ、外国を攻撃するにはそれなりのワケがあったわけじゃん。
それが開国に考え方がシフトしていくのが面白いところだよね。長州藩は開国を主張する勢力が強くなっていったわけだから。
これが下関戦争がもたらした結果だよ。
どんどん明治維新に近づいてきましたな。