人物

張作霖(ちょうさくりん)爆発事件と息子の張学良(ちょうがくりょう)。

投稿日:

関東軍による張作霖爆殺事件。

殺されてしまった張作霖にスポットを当てて今回の記事を見ていこう。

 

張作霖爆殺事件の時の内閣は田中義一。田中義一は張作霖爆殺事件の時に、昭和天皇に事件の解明を急ぎます!

と言いつつ、全然急がなかったから昭和天皇にブチ切れられ事件の責任を取って総辞職したよね。

そのわずか3か月後に突然死したから昭和天皇は「可哀想なことしたな・・・」と気に病むだったんけど

実際は腹上死だったんじゃないか?って言われていて個人的にはこのエピソード大好きなんだよね。

 

張作霖という人物

さて、中国で蒋介石が北伐(中国の統一)を行おうとしているところ、田中義一内閣は「現地にいる日本人を助ける!」という名目で

山東出兵をしたよね。

山東出兵は合計3回行われたんだけども、

第一次山東出兵の後に外交担当者と軍部関係者を集めた「東方会議」が開かれたわけだ。

この会議で決定したのが、中国は内部でもめてるけど、日本は満蒙における権益を守る続けるぜ!

という事が決定したんだよね。石橋湛山なんかは小日本主義を抱えていて、中国の支配には否定的な考えだったんだけど、石橋湛山は史料問題にも良く出るから難関大学の受験者は要チェックね。

 

この時に日本が交渉した相手が張作霖という人物なわけ。

張作霖は満州軍閥の実権者でさ。当時の中国は地方で軍人が軍人を養ってその地域を統治していたさ、これが軍閥と呼ばれていたんだ。

張作霖は北方軍閥の巨頭でさ。日本が支援して満州を統一していたの。

でもね、蒋介石率いる革命軍に押されてしまって実質負けてしまったんだよね。その流れで日本にも協力的じゃなくなってきて

それに怒った関東軍が密かに張作霖を排除する計画を立ててしまうんだ。

これが張作霖爆殺事件だね。

 

いやーすごいよね、日本の関東軍は自分で張作霖を爆殺して、国民政府軍のせいにしようとしてたんだから、とんでもないよね。

 

息子の張学良

お父さんを殺されてしまった張学良は何をしたか?と言うと、国民政府に合流して、

とにかく日本に対抗する対日運動に努めるよ。

そりゃお父さんを殺されてしまったんだから、日本が憎いに決まっているよね。

それにしても自分のお父さんを攻めてきた国民政府と手を組むってのはドラマチックだよね。

 

息子の張学良は1928年に満州全土に中国国民党の旗を掲げたのさ。

この旗がまたドラマチックでね。お父さんの張作霖は日本の支援で満州での地位を確立していたわけじゃん?

その時は五色の旗を掲げていたんだけど、その後は国民党の「青天白日旗」を掲げるんだ。

一応、この旗に関しても用語集に載っているんだけど、ちなみにって感じで頭に入れてくれればよい知識。

 

実は田中義一内閣はこの満州を日本の特殊権益遅滞として中国本土から切り離して支配しようとしていたから、その政策が失敗に終わってさ。

それで辞職したって流れなんだよね。

 

ドラマチックだよね。

-人物

Copyright© 大学受験の日本史を極めるブログ , 2019 All Rights Reserved.