さて、明治新政府の大きな歳出。
それは武士へのお金だったんだよ。以前も少し触れたけど、戊辰戦争の功績でもお金を支払ったし、廃藩置県で藩主の借金を新政府が引き継いだから、武士にお金を払わないといけなかっしさ。
つまり、新政府にとって志士にお金払うってのはかなりの負担だったわけ。
それを解決しようとしたのが、秩禄処分だよ。
秩禄処分とは
まず、秩禄(ちつろく)ってのは、家禄と賞典禄を合わせたものだよ。
家禄(かろく)= 華族や士族に与えられるお金
賞典禄(しょうてんろく)=維新期の功労者に与えられたお金
だね。
江戸時代はさ、武士は主従関係にあったから家臣と主君は御恩と奉公の関係だったでしょう?
戦に出るためのお金とか米を主君から貰ってたわけ。
でも、版籍奉還に廃藩置県しちゃったじゃん?
今まで武士だった人のお給料はどうやって払うの?士族どうする??
ってのが新政府にとっての問題だったわけ。
それに加えて1873年には徴兵令ができちゃったから、国民皆兵じゃん。もう別に武士にお給料払って戦の時に出てってもらわなくても平民を戦争に参加させられるわけだしさ。
軍事力の強化ってのは各藩が行うんじゃなくて、中央政府が行うわけだしね。
実はこの秩禄ってのは、新政府の歳出の35%以上を占めていたから、とにかく早く削減したかったのね。
そこで、1873年に秩禄奉還の法を定めて、
「希望者には数か月分まとめて出すから、秩禄もう無しね!」
っていう、現在のリストラに似たような制度だね。希望退職者的な。ここで家禄の約3分の1を整理するよ。
さらに1876年に、華族・士族に秩禄を完全に廃止するにあたって、
金禄公債証書とういう名前の公債証書を発行するよ。なぜ、金禄か?というと現金で支払われるから。
公債ってのは、借金。
「今はお金無いから払えないけど、その証書持ってれば、利子払うから!5年経ったら、ちょっとずつ抽選で当たった人に返していくから!」
という、今でいう国債みたいな形にしたんだよね。
これで明治政府としては、今すぐ支払わなければならないお金を将来に繰り延べられたから資金繰りが良くなったわけだ。
これらすべてを含めて、秩禄処分と言うんだよ。
どうかな?わかりやすく説明できているかな?もしわからなかったら、コメント欄に質問ちょうだいね。