奈良時代

百万町歩開墾計画をわかりやすく。三世一身の法との関係も。

奈良時代は「律令制」の時代。

 

土地も国民も天皇の下にある、という公地公民制が基本だったよね。

で、口分田を国民に分け与えて、そこから税を取るという仕組みだった。

 

ところが、時間とともに人口が増えてくると、「口分田が足りない」という事態になってしまった。

まあ一人一人に田んぼ配ってるんだから当然ちゃあ当然だよね。

 

田んぼが足りないということは、人口に対して採れる作物が足りないということでもある。

要するに食糧問題が出てきてしまったわけだ。

 

今回は、この問題を解決するため奈良時代の政府が行った政策を見ていくよ。

 

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宇佐八幡宮神託事件を簡単にわかりやすく!阻止したのは・・・

今回見ていく宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐう しんたくじけん)は、実は前回見てきた“藤原仲麻呂の乱”とつながっている。

https://jahistory.com/fujiwarano-nakamaro/

 

だから、まだ藤原仲麻呂の乱の記事を読んでいない人は、読んでからこの記事を読むことをお勧めするよ。

 

孝謙上皇がベタ惚れだった僧侶・道鏡は、孝謙上皇の援助を受けながらグイグイ朝廷の奥深くまで入り込んでいく。

ただ、官僚でもない一介の坊さんが朝廷で権力を握るってのは、周りから見たら「えぇ・・・」って感じだよね。

 

今度は道鏡を中心としたイザコザが発生するんだ。

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藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱とは?道鏡との関係も。

前回の「聖武天皇」の記事でチラッと触れたんだけど、聖武天皇の治世で藤原氏の一族・式家の藤原広嗣が、政権に対するクーデターを行った。

 

いくら権力もちの藤原氏とはいっても、さすがにクーデターは許されない。

式家の人の多くが処分され、権勢を誇る藤原氏に対しても少々風当たりが強くなっていった。

 

そんな中で、またしても藤原氏から反逆者が出てしまう。

その人物こそ、藤原仲麻呂(別名・藤原恵美押勝(えみのおしかつ))だ。

 

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聖武天皇の国分寺建立の詔、大仏造立の詔をわかりやすく。

藤原四子と長屋王がいがみ合ってその後四子が政権を握ったりしているころの、時の天皇はだれだったかというと・・・

聖武天皇

 

この天皇は超~重要。

聖武天皇は文武天皇と藤原不比等の娘・藤原宮子にできた子供だから藤原氏との関係も強くある点や、今回見ていく「鎮護国家思想」を前面に押し出した人物という点でもポイントになってくる。

 

じゃあ、詳しく見ていこうか。

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藤原四子(四兄弟)と長屋王の変をわかりやすく。

前回の記事では、藤原不比等について見てきたね。

 

徐々に朝廷内で権力を高めていき、天皇家と外戚関係を作ったことでその権力が非常に大きなものになったんだったよね。

で、不比等には息子が4人いたんだけど・・・この四人が結構重要なんだ。

 

藤原四子、藤原四兄弟なんて言われ方をする。

詳しく見ていこう。

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藤原不比等の功績とは?日本書紀との関係についても。

さて、いよいよ古墳時代(飛鳥時代)を抜けて、奈良時代へと入っていくよ。

 

奈良時代(710~794)は“律令制”が発展した時代としてももちろん重要だけど、

何より仏教が日本に入ってきて、それが花開いた時代だってことがポイントだよね。

 

仏教の影響は政治なら「鎮護国家思想」に、文化なら「大仏・寺院」と様々。

(小難しい言葉がちょくちょく出てくるけど、しっかり解説していくから安心してね。)

 

で今回は、奈良時代を語るうえでは外せない人物を一人、見ていくよ。

その名も「藤原不比等(ふじわらのふひと)」だ。

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遣唐使の目的とは?簡単にわかりやすく。

前にヤマト政権についての記事で、遣隋使について見たことがあったね。

https://jahistory.com/ken-zui-shi/

 

第二回遣隋使では中国の皇帝をブチ切れさせるという大事件があったものの、なんやかんやその後関係は築かれて行って、朝貢貿易が成り立っていた。

 

その隋が618年に滅びてしまい、代わりに唐という国になったんだけど、日本はそのあとも交流を続けた。

で、そこで送られていたのが遣唐使だ。

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班田収授法、口分田とは?簡単にわかりやすく。

日本書紀によると、大化の改新の際に出された「改新の詔」で、「班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)」の実施が宣言された・・・ということになっている。

まあでも以前見たように、日本書紀のこの記述は後から脚色されたウソの可能性が高まってきているわけだ。

 

じゃあ確実に班田収授法が実施されたのはいつなのか、というと・・・701年の大宝律令施行から。

 

今回は、大宝律令で具体的に定められた「班田収授法」について詳しく見ていくよ。

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五色の賤(せん)をわかりやすく!覚え方も紹介するよ。

大化の改新期ごろから日本には、「良賤制」と呼ばれる身分制度が導入されるようになった。(中国の影響)

 

まあぶっちゃけて言えば奴隷制なんだけど、この仕組みがちょいと複雑。

 

というわけで、今回は良賤制と「五色の賤(ごしきのせん)」について詳しく見ていくよ。

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国郡里制をわかりやすく。国司や郡司、里長の仕事とは?

大宝律令で新たに仕組みが作られたものとしては大きく分けて、前回見てきた「太政官制」と、今回見ていく「国郡里制」の二つがある。

 

大化の改新ごろから地方行政組織は作られていたけど、701年に出された大宝律令で、刷新された地方行政のシステムが新たに定められたってわけだ。

 

言葉にすると難しいけど、基本的な仕組みは意外と現代の感覚とも変わっていなくて、分かりやすい。

 

詳しく見ていこう。

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