明治時代

日本銀行が銀兌換銀行券を発行へ!紙幣整理が目的!

前回は松方デフレについてやったね。

大隈重信は西南戦争の出費などで発生したインフレと不換紙幣の回収のために、外国に5000万借りようぜ!となかなかぶっ飛んだ政策を掲げたよね。

でも失脚して、松方正義が松方財政でもって緊縮財政をしたわけだ。その松方財政の一環の中で、「日本銀行」が設立されたわけなんだけども、今日はその日本銀行と銀兌換銀行券についてね。

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大隈財政と松方財政の違い!松方デフレとは何か。

今回は財政についてだね。

政治と経済は表裏一体で、政治の政策が経済状況を作り、経済状況に応じて政治方針が決まるわけだから。

この時期に重要なのが、明治十四年の政変で下野した大隈重信により大隈財政と、1880年代前半に実施された松方正義による松方財政だね。

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立憲帝政党は翌年に解散した政党。福地源一郎が作る!

国会開設の勅諭が出されて、自由党や立憲改進党が作られたよね。

10年後に国会開きますよ!と明治政府が天皇に進言する形で、勅諭を出したので、人々は政党を作っていったわけだ。

しかーし!!明治政府は集会条例で厳しく取り締まったんだよね、それで衰退していっちゃったわけ。

ちょっとマイナーなんだけども、立憲帝政党ってのも作られているんだよ。

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板垣退助の自由党と大隈重信の立憲改進党が結成される。

さて、伊藤博文と政権の主導権を争っていた大隈重信は免官させられたね。

国会を早期に開こうとしたことと、開拓使官有物払下げ事件にも関係してるだろう!!ということで辞めさせられてしまったんだね。

伊藤博文の主張とはまったく異なる急進的な考えだったからね。

そんな大隈重信は政党を作ることになるんだよ。今日はそんな話。

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私擬憲法とは自由を求める人々の努力である。

今日はちょっと感動的だよ。

個人的には、明治の自由民権運動で明治政府と戦いながら民主主義や平等を求める人たちの努力ってのは泣けるんだよ。

今回は国会期成同盟ができた1880年頃からどんどん作成されていった私擬憲法についていくよ。

ちょっと暗記するのが大変な内容だけと頑張ってな!

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国会開設の勅諭と明治十四年の政変!大隈重信は免官。

前回は開拓使官有物払下げ事件についてやったね。

めちゃくちゃ安い金額で開拓使を五代友厚に売ろうとした事件だ。自由民権運動を明治政府に抑えつけられている人々としては、「おい!どうなってんだよ!ズブズブの関係かよ!」と明治政府を批判する良い機会だったわけだ。

このことから、国会開設の勅諭、明治十四年の政変へとつながっていくよ。

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開拓使官有物払下げ事件の黒田清隆と五代友厚。

今日は開拓使官有物払い下げ事件だよ。

ここでの登場人物で1番重要なのは黒田清隆なんだけども、黒田清隆と言えば、北海道に1000万円以上使って、開拓しようとした人物だよね。榎本武揚が戊辰戦争で負けても「処刑だけは避けてくれ!」と頭を丸めて懇願した人。

この黒田清隆ってのは北海道と関わりが強いんだけども、こんこ開拓使官有物払い下げ事件で批判されるよ。

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集会条例とは自由民権運動の高揚を抑えるためのもの。

1880年に愛国社が国会期成同盟に名前を変えたね。

片岡健吉、河野広中らが中心となって、8万7000人もの署名を集めたよね。これだけの署名を集めたってことから、いかに自由民権運動が高揚していったのか!

ってことがわかるね。この時期ってのは自由民権運動を行う人たちと明治政府の戦いだ。

言論の戦争だぜ!

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愛国社再興から国会期成同盟までの流れ。

さて、自由民権運動は続くよ。

1875年に立志社を中心として、全国の有志が集まってできた愛国社なんだけども板垣退助が大阪会議で参議に復活したこともあって、一時期解散していたよね。

畳みかけるかのように西南戦争も起きちゃったしさ。

その愛国社が再興する出来事が1878年のことだ。

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立志社建白を天皇は却下!西南戦争中の出来事。

立志社についてもう1つ。

立志社というのは板垣退助が土佐に戻って作ったローカル的な政社だったね。この立志社に呼応するかのように全国的に小さな政社がどんどんできていったんだよね。

この立志社の社長片岡健吉が西南戦争の途中に出したものが立志社建白なんだ。

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