平安時代

知行国の制度とは?図で簡単にわかりやすく。院宮分国制との関係も

今回の記事は、前回見てきた延久の荘園整理令にはじまる、「荘園公領制」と関係がある。

 

荘園公領制の成り立ちについてまだよくわかっていない人は、前回の記事を読んでからこの記事を読むとわかりやすいと思う。(https://jahistory.com/enkyu-no-syouen-seiri-rei/

 

で、今回は荘園公領制が成立した後の「公領」が、どうなっていったのかについて詳しく見ていく。

「知行国」って制度なんだけどね。

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延久の荘園整理令をわかりやすく!荘園公領制との関係も。

平安時代は末期に向かうにつれて、貴族や寺社がたくさんの荘園を私有するようになった。

おまけに不輸の権、不入の権まで持った荘園が出てきたりもして、徴税がどんどん難しくなっていった。

 

これまで公領として徴税ができていた土地が、荘園となって私有地となっていく・・・。

この動きがずっと続けば、いつかは国の持つ土地がなくなってしまう。

 

この状況を打破すべく、一人の天皇が立ちあがった。

今回は、その天皇の主導で行われた大規模な「荘園整理」について見ていこう。

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後三年の役を簡単にわかりやすく!源義家の干渉がスゴイ

前九年の役で、一気にその地位を上げた源氏と清原氏。

 

しかし、急に大きな権力を得たり裕福になったりすると、どうしてかほころびが出てきちゃうんだよね~。

今も昔も変わらないね。

 

清原氏も御多分にもれず内部分裂が発生してしまう。

で、これがただの内輪揉めならまだしも、そこに食いついてきた源氏の影響もあって非常に厄介なことになる。

 

今回は、後三年の役(1083~1087)について詳しく見ていくよ。

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前九年の役を簡単にわかりやすく!なぜ起きたの?

承平・天慶の乱が発生した平安中期ごろから、徐々に「武家」「武士」が台頭していく。

みんなご存知の通り、平安時代の後にやってくる鎌倉時代は武士の世の中だよね。

 

つまり平安時代は末期に向かうにつれて、次第に武士を中心とした戦乱の世の中になっていく、というわけだ。

 

今回見ていく前九年の役ぜんくねんのえき(と、次回説明する後三年の役)では、後に鎌倉幕府を築き上げていくことになる「源氏」が主人公だ。

詳しく見ていこう。

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押領使・追捕使の違いとは?検非違使との違いや武士との関係も。

僕が平安時代を勉強しているときにものすごくストレス感じてたのが、「役職がごちゃごちゃしてて難しすぎ」という問題。

まあ平安時代に限った話ではないけど、何が厄介かって仕事内容が一部被ってて違いが分かりづらいことなんだよね。

 

今回見ていく押領使・追捕使おうりょうし・ついぶしとかまさにその典型みたいな役職。

 

平安時代の理解が少しでもラクになるよう、詳しく解説していくよ。

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不輸・不入の権をわかりやすく。なぜ許可してしまったの?

寄進地系荘園が誕生したのは、国司によるムチャな増税への対処がきっかけだったよね。

大金持ちってのは大体それ相応の権力を持ってるんで、国司たちも横暴な徴税がしにくかった。

 

だからそこまで権力がない小金持ちたちは大金持ちに寄進をしたわけだ。。

 

で、その大金持ちたちはさらに権力のある名門一族らに寄進するようになった。

例えば藤原氏とかね。

 

名門一族の中には、当然朝廷内でもトップクラスの権力持ちもいる。

そのため、自分の一族のもつ荘園の利益のため・・・・・・・・・・・・・・・・「自分の荘園からは税を取らない」という許可証を出させたりし始めた。

 

どういうことなのか、詳しく見ていこう。

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寄進地系荘園を簡単にわかりやすく!初期荘園との違いは?

今回はずばり「荘園」の話。

 

荘園ってホントにわかりにくい部分だと思うんだ。

現代日本にはない仕組みだし、言葉から大体どんなもんかのイメージも付きにくいしね。

 

今回は、その荘園の中でもとりわけ重要な寄進地系荘園について。

初期荘園とも比較しながら詳しく見ていくよ。

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承平・天慶の乱をわかりやすく。その歴史的意義とは?

醍醐天皇時代の「延喜の治」、村上天皇時代の「天暦の治」の間にいた、影の薄い天皇の名前を覚えてるかい?

 

朱雀すざく天皇ね。

 

天皇自身が病弱で幼かったことや、乱・天災のオンパレードで政治以外のところが大混乱していたこともあって

天皇については教科書でもあまり触れられていないね。しゃーなし。

 

問題はこの朱雀天皇の期間に起きた「乱」。

平将門たいらのまさかどの乱と藤原純友ふじわらのすみともの乱がこれに当たるもので、総称して承平・天慶の乱じょうへい・てんぎょうのらんともいう。

 

実はこの乱、後の時代で「武士」が台頭するきっかけになったとも考えられている重要な乱なんだ。

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延喜・天暦の治を簡単にわかりやすく!時の天皇についても。

今回は、尚泰しょうたいの変で脱・藤原を考えていた菅原道真が消されてからのお話。

 

前回の記事で書いたように、尚泰の変が起きた時の天皇は醍醐だいご天皇

実は、この醍醐天皇の治世と、そこから一つ飛ばして村上天皇の治世は後に延喜えんぎの治・天暦てんりゃくの治と呼ばれるようになった。

 

「~の治」とついた場合、“すばらしい政治が行われた”と評価されたことを示す良いしるしなんだけど、

じゃあ本当に良かったのか・・・・ということについて、詳しく見ていこう。

 

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阿衡(あこう)の紛議/阿衡事件を簡単にわかりやすく!

藤原良房が応天門の変で自身の地位を確立した、ってのは前回見てきたね。

 

良房はその後、異例の摂政就任など最強の地位と権力を手に入れることに成功し、藤原氏の権威を爆上げすることに成功した。

で、良房は後継者となる子を持っていなかったので、養子を迎え入れた。

 

これが藤原基経という人物。応天門の変でもちょい出してたね。

 

今回は、この藤原基経が中心となって起きた「阿衡の紛議(あこうのふんぎ)/阿衡事件」を詳しく見ていくよ。

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