平安時代

保元の乱までの経緯をわかりやすく。①崇徳上皇と鳥羽上皇

さ~、今回からいよいよ平安時代も戦乱の世へと移り変わっていくよ。

蹴鞠けまりしてる場合じゃない。

 

今回のテーマである保元ほうげんの乱は、ハッキリ言って超分かりにくい。

何が分かりにくいって、保元の乱が起きるに至るまでの経緯が複雑すぎるのよ。

 

上皇と天皇、摂関家(藤原忠通ただみち頼長よりなが)の対立があって、そこに源氏・平氏内のゴタゴタ・・・これが全部絡んでくる。

既にめんどくさそうでしょ?

 

避けて通りたいけど、歴史上保元の乱はとっても重要な乱なのでそうもいかない。

というわけで、ゆっくり分かりやすく説明していこうと思う。

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院政の仕組みを図で簡単にわかりやすく。北面の武士についても。

白河上皇/法皇による「院政」

前回の記事でも言ったように、「天皇の補佐的立場で、政治の実権を握る」という根本の仕組みは摂関政治とほぼ同じ。

 

違うのは政治の実権を握っているのが摂政・関白か、上皇かってとこだけだ。

う~ん、これだけの説明だと実にイメージしにくいよね。

 

というわけで、詳しく見ていこう。

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白河天皇(上皇・法皇)の院政とは?摂関政治衰退との関係

延久の荘園整理令を断行し、摂関家でもある藤原氏の横暴に一石を投じた後三条天皇。

 

絶大な力を持っていた摂関家・藤原氏の不利益になるような、大胆な荘園整理令をなぜ後三条天皇が打ち出せたのかというと・・・。

後三条天皇に藤原氏との外戚関係がなかったからだ。

 

つまり後三条天皇が即位する=摂関家としての藤原氏の立場が弱まるということに繋がっていく。

そんな後三条天皇の子として次に即位したのが、白河天皇

 

白河天皇は、この後しばらく続く「院政」という政治の仕組みを確立していった人でもある。

今回は、白河天皇がどうやって院政を築き上げていったのか、詳しく見ていこう。

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知行国の制度とは?図で簡単にわかりやすく。院宮分国制との関係も

今回の記事は、前回見てきた延久の荘園整理令にはじまる、「荘園公領制」と関係がある。

 

荘園公領制の成り立ちについてまだよくわかっていない人は、前回の記事を読んでからこの記事を読むとわかりやすいと思う。(https://jahistory.com/enkyu-no-syouen-seiri-rei/

 

で、今回は荘園公領制が成立した後の「公領」が、どうなっていったのかについて詳しく見ていく。

「知行国」って制度なんだけどね。

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延久の荘園整理令をわかりやすく!荘園公領制との関係も。

平安時代は末期に向かうにつれて、貴族や寺社がたくさんの荘園を私有するようになった。

おまけに不輸の権、不入の権まで持った荘園が出てきたりもして、徴税がどんどん難しくなっていった。

 

これまで公領として徴税ができていた土地が、荘園となって私有地となっていく・・・。

この動きがずっと続けば、いつかは国の持つ土地がなくなってしまう。

 

この状況を打破すべく、一人の天皇が立ちあがった。

今回は、その天皇の主導で行われた大規模な「荘園整理」について見ていこう。

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後三年の役を簡単にわかりやすく!源義家の干渉がスゴイ

前九年の役で、一気にその地位を上げた源氏と清原氏。

 

しかし、急に大きな権力を得たり裕福になったりすると、どうしてかほころびが出てきちゃうんだよね~。

今も昔も変わらないね。

 

清原氏も御多分にもれず内部分裂が発生してしまう。

で、これがただの内輪揉めならまだしも、そこに食いついてきた源氏の影響もあって非常に厄介なことになる。

 

今回は、後三年の役(1083~1087)について詳しく見ていくよ。

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前九年の役を簡単にわかりやすく!なぜ起きたの?

承平・天慶の乱が発生した平安中期ごろから、徐々に「武家」「武士」が台頭していく。

みんなご存知の通り、平安時代の後にやってくる鎌倉時代は武士の世の中だよね。

 

つまり平安時代は末期に向かうにつれて、次第に武士を中心とした戦乱の世の中になっていく、というわけだ。

 

今回見ていく前九年の役ぜんくねんのえき(と、次回説明する後三年の役)では、後に鎌倉幕府を築き上げていくことになる「源氏」が主人公だ。

詳しく見ていこう。

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押領使・追捕使の違いとは?検非違使との違いや武士との関係も。

僕が平安時代を勉強しているときにものすごくストレス感じてたのが、「役職がごちゃごちゃしてて難しすぎ」という問題。

まあ平安時代に限った話ではないけど、何が厄介かって仕事内容が一部被ってて違いが分かりづらいことなんだよね。

 

今回見ていく押領使・追捕使おうりょうし・ついぶしとかまさにその典型みたいな役職。

 

平安時代の理解が少しでもラクになるよう、詳しく解説していくよ。

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不輸・不入の権をわかりやすく。なぜ許可してしまったの?

寄進地系荘園が誕生したのは、国司によるムチャな増税への対処がきっかけだったよね。

大金持ちってのは大体それ相応の権力を持ってるんで、国司たちも横暴な徴税がしにくかった。

 

だからそこまで権力がない小金持ちたちは大金持ちに寄進をしたわけだ。。

 

で、その大金持ちたちはさらに権力のある名門一族らに寄進するようになった。

例えば藤原氏とかね。

 

名門一族の中には、当然朝廷内でもトップクラスの権力持ちもいる。

そのため、自分の一族のもつ荘園の利益のため・・・・・・・・・・・・・・・・「自分の荘園からは税を取らない」という許可証を出させたりし始めた。

 

どういうことなのか、詳しく見ていこう。

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寄進地系荘園を簡単にわかりやすく!初期荘園との違いは?

今回はずばり「荘園」の話。

 

荘園ってホントにわかりにくい部分だと思うんだ。

現代日本にはない仕組みだし、言葉から大体どんなもんかのイメージも付きにくいしね。

 

今回は、その荘園の中でもとりわけ重要な寄進地系荘園について。

初期荘園とも比較しながら詳しく見ていくよ。

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