飛鳥時代

乙巳(いっし)の変はなぜ起きた?その真相や年号についても。

日本は、ある事件(クーデター)をきっかけにそれまでの社会から大きな変革を遂げる。これを大化の改新というね。

 

で、大化の改新で何が変わったのか、というと色々あるんだけど・・・

イチバンはなんと言っても「律令制」(今でいう法律)という仕組みが導入されたことだ。

 

具体的に言うと、

“国には一人の王様がいて、その国の人と土地は全部王様のモノ”

“王様以外の民はみんな平等”

 

という、古代の中国から代々受け継がれてきた思想が基になった法律だ。

 

ところで、その大化の改新が起きるきっかけとなったある事件ってのが、今回見ていく「乙巳(いっし)の変」なんだ。

この乙巳の変がまた、いろいろな説があって面白いんだ。

 

詳しく見ていこう。

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遣隋使を送った目的って?小野妹子の返書紛失事件の真相についても。

推古天皇の治世で行われた中で、これまた重要なのが今回見ていく「遣隋使(けんずいし)」の派遣。

 

多分一番聞きなれてるのは「遣唐使」の方だと思う。

遣隋使は、遣唐使よりも前の時代に中国に送られていた使節のことだ。

 

中国が「隋(ずい)」という国だった時に送られたのが遣隋使、「唐」という国だった時に送られたのが遣唐使だ。

名称が違うだけで、その目的とかは特に変わりはないってのを、前提として覚えておいてね。

 

それじゃあ本題に入っていこうか。

今回も面白いエピソードあるよ。

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憲法十七条の目的とは?簡単にわかりやすく。

前回、聖徳太子&蘇我馬子が推古天皇の時代に行った政策「冠位十二階」について見てきたよね。

 

そんな聖徳太子たちが行ったもう一つの大きな施策が、「憲法十七条」だ。

 

ただね~これがまた日本書紀がらみってことで、疑惑の目が向けられてたりするんだよね・・・。

今回も憲法十七条の内容と一緒に、疑惑についても見ていこうと思う。

 

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冠位十二階を簡単に、わかりやすく説明するよ。

ヤマト政権は6世紀に、一旦勢力を弱めたんだけど、6世紀後半~7世紀に入って再び力を取り戻した。

 

力を復活させた当時のヤマト政権の中枢にいたのが、「蘇我馬子」と「聖徳太子(厩戸皇子)」

この2人が行った政策によってヤマト政権の在り方が結構変わることになる。さらには、この後始まる奈良時代への大きな足掛かりとなる。

 

その政策の中で超重要なものの一つが「冠位十二階」という制度。

今回はこれを詳しく見ていくよ。

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磐井の乱になぜ新羅が関わってくるの?分かりやすく解説するよ。

ヤマト政権の時代、もっと言えば古墳時代は未だに謎めいた部分が多くある。

 

「ヤマト政権の中心は奈良県にあった」とか、「ヤマト政権は古墳時代に強い力を持っていた」だとかはもう通説になってきてるけど、

「ヤマト政権の勢力ってどこら辺まで影響あったのか」についてはイマイチはっきりしない。

 

そんなヤマト政権の勢力を窺い知るのに大きな助けとなるような、ある事件が6世紀に起きた。

 

これが、磐井の乱(いわいのらん)と言われるもの。

磐井の乱を詳しく見ていくと、6世紀ごろのヤマト政権の様子だったり勢力図だったりが結構見えてくる。重要な出来事なんだ。

 

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氏姓制度とは?その意味と違いについて。

前回ヤマト政権について結構詳しく見てきたけど、その中で「5世紀にヤマト政権の権力が増大した」って話をしたよね。

 

この時ヤマト政権と地方の権力者には、ある独特な制度があった。

 

その名も「氏姓制度」

 

これが結構分かりづらい。

詳しく見ていこう。

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