ロシア軍艦蝦夷襲撃事件(文化露寇)はレザノフの逆ギレ!?

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前回は、間宮林蔵についてみてきたね。

樺太探検の功労者でもあり、ロシアの情報を入手しようとしたスパイでもあったよね。

 

今回は、間宮林蔵も巻き込まれた「ロシア軍艦蝦夷襲撃事件」、別名「文化露寇(ろこう)」について解説するよ。

 

ラクスマンの根室来航が布石に

この襲撃事件が起きる前に、一度ロシアの軍人が日本に来ていたことを覚えているかな?

漂流していた大黒屋光太夫を日本に送還しがてら通商交渉にきた、ラクスマンだ。

 

彼は結局通商交渉には失敗したけど、代わりに長崎港に来ていいよ、というパスをもらったんだった。

 

これを受けて、ロシア側はラクスマンが持ち帰ったパスをもって長崎にやってきた。

この時やってきたのが、レザノフだ。

半年交渉したけど失敗。怒ったレザノフは・・・。

長崎にやってきたレザノフはさっそく江戸幕府と通商交渉を始めようとする。

しかし幕府は頑なに貿易を始めるのを嫌がり続けた。

レザノフも粘り強く交渉したけど全く話が進展せず、半年がたった。

 

ここにきてレザノフは我慢の限界。「ふざけんなよお前ら!こうなったら力ずくで開国させてやるぞ!」とブチギレ。

 

レザノフは、さっそく択捉島や樺太といった日本の領土を部下に攻撃させた。

これに対して幕府も応戦の構えを見せる。

 

東北地方の藩から3000人の武士を蝦夷に派遣し、警備を強化した。

 

ロシアからの攻撃は数回に渡って行われ、一般人が拉致されたり家を破壊されたり、様々な物品を強奪したり放火したりとやりたい放題だった。

ロシアの皇帝が指示したものではなかった

 

しかし、これらの攻撃はあくまでレザノフが勝手にキレてやったこと。

ロシア皇帝が直々に攻撃を命じていたわけではなかった。

 

ロシアの皇帝は一連の日本攻撃を良しとしなかったため、全軍撤退を表明。

これで一応この一連の事件は終息する。

 

しかし、幕府の心中は穏やかじゃない。

 

日本からしてみれば、「鎖国してるって言ってんのに貿易を強要してくるし、おまけに逆ギレで攻撃してくるたぁどういうことだ!」という心境。

 

この事件以降、幕府はロシアへの警戒を強めることになる。

 

こうしたロシア対策の一環として、間宮林蔵は樺太にスパイ活動も兼ねて行っていたんだ。

 

まとめ

レザノフが部下に命じて行われた蝦夷攻撃。

この事件はこの後、さらに「ゴローニン事件」へと発展していくことになる。

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