昭和時代

文化大革命とは?わかりやすく解説。犠牲者は1,000万人とも。

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この記事では文化大革命について解説するよ。

社会主義のイメージが湧かない人は、『中国の文化大革命とは?毛沢東や政治面に注目してわかりやすく解説。』の記事にて文化大革命をご覧ください。

 

今でこそ中国は世界のGDP2位に君臨する大国でアメリカとも貿易戦争を2019年の段階で繰り広げている国だけども、

日本が55年体制の頃に10年間にもおよぶ共産党の混乱の時代があったんだ。

暴力により政権の奪還が文化大革命のポイントで、犠牲者数は1,000万人以上にも及んだんだ。

 

今回はその文化大革命について見ていこう。

 

文化大革命とは?

文化大革命は、毛沢東が主導した革命運動。

 

毛沢東は1958年から3年間、大躍進政策という農業と工業の大規模な増産政策を実施していた。

しかし、これが大失敗。

経済は大混乱に陥って、食料難から大量の餓死者を出してしまった。

その結果、毛沢東は劉少奇(りゅうしょうき)に国家主席の座を譲ったんだ。

 

しかし、毛沢東はこう考える。『もう一度国家主席の座を取り戻したい!!』

これが文化大革命のあらましなんだ。

毛沢東は劉少奇に国家主席を譲ってしまった事を『国家の危機だ』なんて言い出して、軍の支援を受けて暴力で劉少奇の政権を倒そうとするわけ。

つまり、クーデターというわけだね。

 

毛沢東の言い分

劉少奇 → 資本主義の道を進む悪いやつ
毛拓郎 → 社会主義文化を創生する良いやつ

といった具合で、学生達を煽動して学生運動などを起こさせたんだ。政府や軍に親を持つ学生達は積極的に学生運動に参加して、紅衛兵と呼ばれたよ。

 

文化大革命はその後どうなった?

今の我々の感覚だと、そんな運動に学生が参加して暴動を起こすなんて信じられない!といった感じがするけど、

1960年代の文化大革命が世界に与えた影響ってかなりでかくてさ。

社会主義の気運だとか、学生運動や政権に対する批判、資本主義経済の負の側面(格差や公害など)などなど世界中に発信されたんだ。

 

毛沢東はベトナム戦争に反対するキャンペーンも行っていたから、米ソの冷戦にうんざりしている新興国の国々は毛沢東の思想に憧れたんだよね。

特にフランスでは毛沢東は絶大な人気だったし、毛沢東の本も30か国で発売されるベストセラーになった。

 

結局、文化大革命自体は蜂起した学生達が武力闘争で農村部まで破壊するほど、活動は激化して

1968年には毛沢東は中国共産党は紅衛兵を追放。

同年の1968年には劉少奇は失脚して殺されてしまう。虐待をされて死亡時は体重20kgしかなかったとも言われているんだ・・・。

その後実権を握った林彪も毛沢東の暗殺計画を立てたとして殺されてしまう。

 

1976年には毛沢東も死去。

何も残らず文化大革命は収束していったんだ。

 

 

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